差別と同化(ユダヤ人を中心に)

松村 治

                              

『ユダヤ人ゲットー』(大澤武男著)からヨーロッパ社会ではユダヤ人に対するひどい差別の歴史があることを知った。ディアスポラ以来のユダヤ人差別の長い歴史の中で18世紀に始まったユダヤ人のドイツ社会への同化への動きに注目してみると、同化の過程で,ユダヤ人の世界が拡大する一方、アイデンティティの喪失の問題や、同化が進むことによりさらに大きな偏見が生まれるというように様々な変化があったことがわかる。

ユダヤ人の差別は1つの社会の中でのマイノリティに対する差別の典型であり、ユダヤ人がその差別にどのように対処しようとしたか、また彼らに対してマジョリティの側はどのような態度をとったかをその歴史の流れの中でみていくことは差別の問題を考える上で大変重要である。今の日本の社会もマイノリティに対する差別の問題とは無縁ではなく、在日朝鮮人の差別問題など私たち自身の問題として取り組まなければならないことがらが存在している。18世紀以降のドイツにおけるユダヤ人の差別と同化に焦点を当てながら、私たち自身の差別への対応についても考えてみた。

 

1,同化への動き

モーゼス・メンデルスゾーン

モーゼス・メンデルスゾーン(1729〜1786)はユダヤ人への啓蒙とドイツ文化人との交流をとおしてユダヤ人の同化のために活動した。

メンデルスゾーンは、タルムード研究などのユダヤ教に関することがらに限られ発展性のない学問に終始しドイツ社会に対して背を向けて閉鎖したユダヤ人社会の意識を、ユダヤ人の側からドイツ文化に対して開かれたものにすることを目指して活動した。そのために日常使われているイディシュ語を否定し、ドイツ語を学ぶことを奨励した。(旧約聖書のドイツ語訳の出版)この聖書は大変普及し、それによってユダヤ人のドイツ語習得がおおいに進み、一般のユダヤ人がドイツ文化に接する機会を増すことに貢献した。また彼は多くのドイツ文化人との交流を深めドイツ文化の理解を増すとともに、ユダヤ人を理解してもらうことにも貢献した。その姿勢はドイツ社会を高く評価しそれに同化していこういうものであった。その活動は彼の娘のドロテーアやヘンリエッテ・ヘルツに引き継がれ、そのサロンでのドイツ文化人との交流の中から多くの同化ユダヤ人が生まれた。その結果、ユダヤ人の活動は精神的な面のみならず社会的な面でも大きな広がりをもつこととなった。

 

メンデルスゾーンの影響

 ユダヤ人がドイツ社会の一員という意識をもってドイツ文化発展に参加していくようになり、ハイネなどドイツ語で作品を書く作家があらわれるようになった。また一般のユダヤ人がイディシュ語よりもドイツ語を多く使うようになった。宗教面では、理性上位、現代化の欲求からダヴィド・フリートレンダーなどによってユダヤ教の儀式を徹底的に改めようとする改革派ユダヤ教運動が起こった。(メンデルスゾーンが望んだわけではなかったが) それはアメリカを含む諸外国へ徐々に広がっていった。

 一方でドイツ社会の側でも、それを受け入れる動きがでてきた。レッシングはモーゼス・メンデルスゾーンの終生変わらぬ友として、「賢者ナータン」などの作品によってユダヤ人に対する偏見をなくそうと努力した。また歴史家ウィルヘルム・ドームは「市民としてのユダヤ人の生活改善について」という論文を発表し、ユダヤ人が平等の権利を獲得するために尽力した。

啓蒙思想を背景にフランスでは、ミラボーが「モーゼス・メンデルスゾーンとユダヤ人の政治的改革について」という論文でユダヤ人を非常に才能に恵まれた民族と評価し、抑圧から解放し能力を発揮させられるようにすべきであると主張した。このような動きのなかで、1791年にはフランス国民議会がユダヤ人に対する完全な平等を宣言した。またドイツの多くの町でゲットーの門が取り壊された。

 

 

 2,同化の過程で

 啓蒙されたユダヤ人はドイツ社会と一体の意識をもって行動したが、一方大多数のドイツ人は相変わらず、ユダヤ人に対して偏見をもったままだった。

<同化しようとする側>

アイデンティティ 

同化に伴ってアイデンティティの喪失という問題がおきてきた。

ユダヤ人という人種はないといわれる。外見からもさまざまなユダヤ人がいて、遺伝学的に単一の人種などではではないようだ。したがってユダヤ人がユダヤ人として認識されるのは社会的な状況から生まれてくるものだ。その中心にユダヤ教がある。

ユダヤ人迫害の長い歴史のなかで、しばしばキリスト教徒はユダヤ人に改宗をせまった。その背景には、ユダヤ人=ユダヤ教を信奉する者 という認識が感じられる。ユダヤ教がユダヤ人に対する偏見を生む大きな原因となったことは間違いない。一方でユダヤ教はユダヤ人のアイデンティティと密接に関わっている。ディアスポラ2000年の間、世界各地に散らばりながらも、ユダヤ人がそれぞれの地域で小さな社会を形成して自らの生活形態を維持し続け、地球上から消滅しなかったのは、ユダヤ教があったからだ。ユダヤ教はユダヤ人の精神的よりどころであり、また日常生活の行動規範ともなっていた。

 モーゼス・メンデルスゾーン以後、同化へ向かったユダヤ人は皆、ドイツ社会の拒絶にぶつかった。そのときに、ユダヤ教を捨てて、キリスト教に改宗すれば受け入れられると考えてそうしたユダヤ人がかなりいた。(ハイネはキリスト教への改宗をドイツ社会への通行証といっている。現実に制度上の問題として、ユダヤ教徒は公的な職業から締め出されていたので、まったく社会的地位を得るためだけに改宗したものもいた。) 一方でヒルシュのようにユダヤ教の伝統的教義を心の中に保持したままで、生まれ育ったドイツの国家に国民として帰属し文化的に同化することは可能だとする考えを持つ者もいた。

 しかし改宗によって同化をめざしたユダヤ人をもドイツ社会は完全に受け入れはしなかった。改宗、つまり自らのアイデンティティの放棄は法的、制度的差別から逃れることはできても社会的、日常的差別からの解放はもたらさなかった。ドイツ社会はユダヤ教だけでユダヤ人を選別していたわけではなかったのだ。このような状況に対してハイネは「自ら生まれ育ったドイツの社会と文化、しかも自らが同化したいと願い、同化しようとしている社会と文化が自分を拒否している」というように心の傷みを述べている。ユダヤ社会は彼らを、地位を得るために祖先の信仰を裏切るものととらえ、ドイツ社会はあいかわらず改宗したユダヤ教徒ととらえていた。

その結果、ユダヤ教を捨てて、キリスト教に改宗したユダヤ人は、もうユダヤ人でもなくドイツ人でもない人間になってしまった。 モーゼス・メンデルスゾーンは改宗を勧められたとき、ユダヤ教を捨てて改宗する気はまったくないとはっきりいっているが、みずからのアイデンティティはユダヤ教がしっかりした支えになっていることを彼がよく認識していたことをあらわしている。

一方、宗教とならんでアイデンティティと大きく関わってくるのは言語であるが、この点ではユダヤ教に対するのと違ってモーゼス・メンデルスゾーンはドイツ系ユダヤ人の用いているイディッシュ語を否定しドイツ語の普及をすすめた。ドイツ文化を理解し、ドイツ社会に同化するにはそれが絶対に必要なことと考えたからだ。イディッシュ語を否定したのはイディッシュ語自体ドイツ語の方言の要素があるからかもしれない。しかしイディッシュ語はユダヤ人が日常使っている言葉であり、自らを表現する手段である。またイディッシュ語による文学の世界の広がりもある。イディシュ語を否定することは東部ユダヤ人(アシュケナジーム)文化を否定することであり、それはあきらかにユダヤ人としてのアイデンティティの喪失につながる。しかし、少なくとも多くのユダヤ人がイディッシュ語をすててドイツ語を使うようになったことによって大きな外の世界と交流できるようになったことは確かだ。

<同化される側>

 反ユダヤ主義

 ユダヤ人のドイツ社会での活躍が目立ってくると、ドイツ社会の中から反ユダヤ主義の言動が目立ってくる。それは人種というとらえ方に基づくもので、ユダヤ人という人種は社会のじゃまもので、排除すべき人種であるというものであった。

1870年頃までのユダヤ人に対する差別は、まったく宗教的なものに還元はできなくともユダヤ教徒であることがその理由の中心であった。しかにそれ以後はマジョリティ(ゲルマン民族)による民族的、人種的マイノリティに対する差別ととらえられ、その性格は変化している。

反ユダヤ主義が高まりをみせていく背景として社会的不安がある。社会の抱えている問題の原因をすべてユダヤ人に負わせてしまう考えが20世紀にはいって社会全体に拡大していった。

 

 

3,同化の否定

<同化しようとする側>

シオニズム運動

反ユダヤ主義の動きの増大をみて、もはや同化は不可能と判断する人々がユダヤ人の間にでてきた。それがシオニズム運動に発展していく。シオニズムの考え自体はもっと以前からあったようだが、現実の運動としての展開はまったく反ユダヤ主義の増大に呼応している。シオニズム運動はユダヤ人の長年の願望であったといえなくもないが、むしろ同化の期待への絶望の結果ととらえるべきだろう。

ユダヤ人の間ではその運動を肯定するものと否定するものとに分かれた。否定するものの多くは、なお同化は可能であると考えていた。

<同化される側>

ホロコースト

反ユダヤ主義はナチスの政策に取り込まれ、ついにユダヤ人全滅作戦が実行にうつされてしまう。ホロコーストの根底にあるのはユダヤ民族の存在の完全な否定である。

ユダヤ人が同じ社会にいることを認めないという意識は、これまでの歴史でみると追放というかたちで実行されてきた。目障りなユダヤ人が視野から消えてしまえばよいわけである。しかしナチスは地球上からその存在自体を消滅させることを実行しようとした。差別とは疎外することであるとすれば、ナチスの選んだ方法は究極の差別である。

 

 

 

4,同化までの遠い道のり

モーゼス・メンデルスゾーンの同化への活動は、ドイツの社会、文化に背を向けて自分たちだけの世界に閉じこもっていたユダヤ人の視野を広げ、ユダヤ人が社会的に様々な分野で活躍するきっかけを与えた。そこにはドイツ文化に対する尊敬と、無条件の受け入れの姿勢がある。

宗教に関しては、まったくユダヤ教からはなれ洗礼をうけてキリスト教に改宗する者、あるいは改宗しないまでもユダヤ教からは距離をおく者、伝統的なユダヤ教を守り続ける者(正統派)と、それぞれユダヤ教に対する姿勢は異なっても、いずれもドイツ社会への同化をめざしていった。

金貸業のみの職業から解き放たれたユダヤ人のエネルギーは社会の各方面での目覚しい活躍となってあらわれた。芸術・科学の分野だけを取り上げてもハイネ、マルクス、フロイト、カフカからアインシュタインとドイツ社会を飛び越えて世界に大きな影響を与えるような活躍をする人々が次々と現れた。

しかし外に向けて踏み出した彼らはそこでまた差別の壁にぶつかっている。彼らの一部は受け入れられるために自らの宗教を捨てた。しかし、その結果は彼らの期待どおりにはいかなかった。やはり彼らはドイツ社会から疎外され続けていた。しかももとの伝統的な共同体からは決別してしまっている。そこで彼らはドイツ人でもユダヤ人でもないような存在になってしまった。ドイツ社会を超えて、世界的なレベルの活躍をするユダヤ人が現れたことは、同化ユダヤ人に対しても依然として差別がつづけられていたことと無関係ではないと考えられている。彼らはその社会にいてもいつもよそものであった。そのことが逆境での文化創造的衝動を与え、社会を超え、民族を超え、時代や世代を超える視点をもった作品や研究成果を生み出す原因となったということだ。

方法を問わず同化することを目指したユダヤ人に対しては2つのことがいえる。1つは、宗教とか言語、名前といったものは、ユダヤ人の共同体の中での個人にとって彼のアイデンティティを形成している大切な要素であって、みずからの計らいでその要素を捨てた場合、彼は共同体の中での足場を失ってしまう。その結果仮に目指すドイツ社会に受け入れられたとしても、それは、メンデルスゾーンの望んでいた真のユダヤ人の同化とは無縁のものだったということだ。もう1つは、ユダヤ人が嫌悪され、差別されるのは、ユダヤ人は・・・だから、ではなくて、ユダヤ人だからなのだという認識がたりなかったことだ。遠い昔にはいくつかの理由をもってユダヤ人は嫌悪されていたが、今ではその理由などはもうどうでもよいのだ。シェイクスピアの「ヴェニスの商人」を例にとってみよう。観客は、金貸しシャイロックが窮地に追い込まれるのを非常に快く感じながら芝居を楽しむ。金貸しシャイロックはその昔のキリスト教社会がユダヤ人に対して、正業をすべて取り上げてしまって結果生まれてきたのだが。そしてそのような職業を続けてきたことが、さらにユダヤ人に対する嫌悪を増幅させた。「ヴェニスの商人」のシャイロックは、ユダヤ人というだけでよく、もう金貸しであるという設定を必要としない。

ともかく、モーゼス・メンデルスゾーンのドイツ社会への同化の努力は大きな実を結んだが、そのために逆に一層大きな偏見(反ユダヤ主義)を生み出し、その結果は内部からはシオニズム運動となって、同化しようとした世界ではナチスの大虐殺という歴史上最大の迫害という否定の形となって現れた。シオニズム運動は明快な解決のようにもみえるが、差別問題の真の解決ではない。それは今自らがいる社会を否定しないで、差別に対して正面から立ち向かい克服しようという姿勢とは反対の極にある。(それがまたあらたな紛争の原因となって今に続いている)

 ナチスの大虐殺という惨劇は行われてしまったが、その大きな犠牲の上に、今はモーゼス・メンデルスゾーンのときとは比べものにならないほど多くの一般大衆にユダヤ人を受け入れようとする意識が定着してきている。真の同化が実現されるまでの道のりは長いが、大きな歴史の流れの中で見たときに、モーゼス・メンデルスゾーンの活動は、間違いなく差別の問題を解決するために何をすべきかを示したといえる。

今の日本の社会にも民族的な差別問題がある。それがどのようなもので、それに対し私たちはどのように対処すればよいのかを考えてみる。

5,在日朝鮮人の差別問題

 在日朝鮮人のおかれた状況は、多民族国家ではなく単一に近いマジョリティの中でマイノリティとして存在し差別をうけている点で19世紀のドイツにおけるユダヤ人の状況とよくにている。また自らのアイデンティティを放棄(帰化などによって)することによってある程度差別から免れうるところも共通の要素であろう。

はじめに在日朝鮮人が日本の社会の中でどんな状況にあるのかをその歴史をふまえて確認してみる。1910年の朝鮮併合から1945年の戦争終了まで朝鮮の人々は経済的破綻や強制連行によって多数が日本に移住することとなった。今日在日外国人のうちの多くの割合を占める在日朝鮮人が存在する理由はここにある。この人たちはその間日本への同化を強制されてきた。それはモーゼス・メンデルスゾーンが望んだユダヤ人の同化とはまったく異なるものである。ユダヤ人自らが望んだ同化の動機はドイツ文化への憧れといってもよいかもしれない。日本がとった朝鮮人に対する同化政策は強制であり労働力の確保といったところがその動機であろう。その過程で朝鮮の人々は日本の神を拝まされ、名前を日本名に改めさせられた。劣った民族として蔑視され、職業はもとよりあらゆるところでひどい差別をうけた上にアイデンティティを奪われるような扱いをうけたことは、朝鮮の人々にとって耐えがたいことだっただろう。この間には関東大震災(1923年)の直後、多数の朝鮮人が虐殺される事件まで起きている。

 戦後、日本にとどまって生活することになった在日朝鮮人に対する日本社会の意識はどうであろう。戦前からの朝鮮人蔑視の意識はかわらずに存在しつづけている。そこにはユダヤ人に対する偏見と同じ状況がみられる。職業における差別のため、社会的に低い評価の仕事にしか従事できない。そのため経済的にも苦しい生活を強いられ社会の底辺を生きることになる。そのことがまた新たな偏見を生んでいく。

現在においても職業における差別があるのは明らかである。1990年のデータで上場かそれに準ずる企業3000社で定住外国人の採用実績があるのは493社(16,4%)となっている。大企業への就職はむずかしいようだ。公務員、公立学校教員採用にも厳しい制約がある。

教育に関して政府は朝鮮人学校を各種学校として卒業生の大学受験資格を認めていない。朝鮮学校での母国語教育など朝鮮の人々のアイデンティティを育てる教育の意義を認めていないようだ。

朝鮮の民族衣装のチマ・チョゴリを着て登校する女学生がいやがらせをうける事件が頻発した。このことは朝鮮人のアイデンティティを表現することに嫌悪を感じ、彼らが日本に存在することを否定する人たちがいることを示している。それはかつてユダヤ人に対してドイツ社会の中にあった意識と同じである。

 しかし政府の政策の中に明らかな差別があったり、一部の人が在日朝鮮人の存在を否定するような行動にでるようなことがあっても、在日朝鮮人が差別されている状況を改善していこうとする動きも確かに広がっている。公、私立大学のなかには朝鮮人学校卒業生に受験をみとめるところがかなり増えてきているし(1994年公8,私50、1977年 公17,私162)、地方自治体では公務員として採用するところが増えてきている(1997年は1992年の47%増)。在日朝鮮の人々は日本では日本国籍をもたず、母国では日本的な朝鮮人として疎外されるとのことだ。その状況は同化を求めたユダヤ人の状況ときわめて類似している。このような人たちが望むことは、偏見がなくなり差別が撤廃された日本の社会の中で共に生きるだろう。

 

 

6,同じ社会で共に生きるという意識

ドイツにおけるユダヤ人差別は、単一に近いマジョリティの中におかれたマイノリティに対する差別の典型である。差別の中でのユダヤ人の同化への歩みのなかで起きてきたさまざまな問題は、差別を克服するためにどのような困難が横たわっており、そのためのどうすればよいかを考える上で多くの示唆を与えてくれる。

 特に大きな問題は社会に深く根を下ろした偏見と、同化しようとする側のアイデンティティの問題である。偏見と民族のアイデンティティを構成する要素は関連をもつようにも見えるので同化しようとする側が、安易にアイデンティティを構成する要素を捨てようとする傾向もみられる。しかしそれは偏見の本質を見誤っている。そのことはユダヤ人の同化の過程をみれば明らかだ。

 偏見がしっかりと根を張った社会では、その偏見はまったく自然に社会の構成員に浸透し次の世代にも受け継がれていく。そのなかでも最も大きな要因は親の言動の中にある差別的なものを子供が取り入れることにあるようだ。また社会も差別を公然と認めている。「ヴェニスの商人」を例にとれば、この芝居がくりかえし上演され、それを心地よく観ている人々があたりまえの社会は、ユダヤ人蔑視の感情を持つことをあたりまえのこととしてしまう。在日朝鮮人を蔑視する感情も、戦前の朝鮮併合から生まれ社会に根を張ったものが今もそのまま受け継がれている。

差別があたりまえの社会ではそれを打ち壊すためには能動的な行動が必要だ。差別を生み出す偏見は子供の時に植え付けられ体の中に染み込んでいる。ビスマルクはユダヤ人問題にふれて「私は告白する。私は確かに偏見をもっている。私は生まれてからそのように仕込まれてきたのだ。だから私は偏見をふりはらうことができない。」といっている。確かに子供の頃に植え付けられた偏見は容易に取り去ることができないかもしれない。しかし少なくとも理性では、その偏見には何の根拠もないのだと理解することはできる。在日朝鮮人の問題も、歴史的に今日までの歩みをたどれば偏見が何故生まれて、それがいかに根拠のないもので非人間的なものかは、そこに注意が向けられさえすればすぐに理解できるものである。そのためには偏見について考えようとする姿勢をつくる教育こそが必要だ。偏見があることをあたりまえのことと思わない意識を育てることだ。人間の中には自分の不満のはけ口をすぐ弱者に向けるような、偏見をもちやすい気質の人がいるようだ。しかし正しい教育によって少なくとも健全は精神の人々に対して偏見が易々と受け継がれていくことは防げるだろう。

 自国の中の少数民族は邪魔者で排除してしまえという意識がユダヤ人に対して向けられたように、日本社会の中に在日朝鮮人に対して同じような意識が存在している。しかしそのような考えにはまったく妥当性がない。彼らは急に外から不法入国してきたわけではない。これまでの歴史の流れの中で必然的にそこに存在することになったのだ。同じ地球の上にいてここは自分たちだけの土地だといいはるような根拠はなにもない。ともに生きようとする開かれた意識が求められる。  

1年ほど前、私は日頃よく知っている在日朝鮮の人と何度か1対1でゆっくりと話をする機会があった。彼は職場(医療関係)での食事会などの席でほとんど発言しない。その場のなかでまったく影の薄い存在なのである。あまり人に表明するような意見を持ち合わせていないとしかみえなかった。ところが1対1になって私に対して心を開いて話をすると、彼は実にしっかりした考えを持っていることがわかった。普通ならばそれだけの考えをもっているのであれば、いろいろな場でそれを表明するはずだ。それをしないのは何故か考えてみた。かれに沈黙させる理由は、食事会に参加はしていても、他の人と同じ場を共有してはいないという意識だ。もっと拡大すれば、日本の社会の中にいても、共に生きているという意識が持てないということだ。それはかつて、同化を求めていったユダヤ人たちがドイツ社会から拒絶されたときに味わった感情と同質のものだ。子供の頃から彼は何度も同化しようとしたユダヤ人と同じ試みをしたことだろう。そして何度も苦い思いを味わって沈黙するようになったにちがいない。

同じ社会にいてもよそもの 在日朝鮮の人々にそのような思いをさせないために,日本社会の多くの人々に、在日朝鮮の人々も同じ社会で共に生きている人々であるという開かれた意識が育つことが必要だ。

しかしたとえ多くの人がそのように開かれた意識をもつようになっても、なお弱者に対して攻撃を続ける人たちがいる。それらの人たちは社会が不安定になったとき大きな勢力となってくる。在日朝鮮人の現状を肯定することは積極的に行動こそしないが差別に荷担していることになる。私たちのすべきことは、偏見を無批判に受け入れない心を持ち、制度の中の差別的な要素を取り除く努力と、偏見に基づいた差別や迫害に走る人々を制止することだ。

 かつてロシヤのユダヤ人作家ボリス・パステルナークは小説『ドクトル・ジバゴ』のノーベル賞受賞に対しソヴィエト政府が国外追放を決定しそうになったとき、「私は自分の出生、生活、仕事によってロシヤと結ばれている。私はロシヤを離れて自分の運命を考えることはできない。」との書簡を送り、政府の措置の停止を願い、国外追放を免れた。人がその土地に生きるということは、それだけの重みのあることなのだ。

民族的にみた日本の現状は、単一マジョリティ対単一マイノリティの構図から変化し多民族状況もみえはじめている。しかしマジョリティに属するものがマイノリティの差別に対してとるべき姿勢に違いはない。在日朝鮮の人々はもとより、日本にいるどのような民族の人であっても、その人がかりにパステルナークのような立場にたたされた時に、自分の生きているところに対して彼と同じ言葉が述べられるような日本の社会にしたいものである。

 

 

(参考資料)

山下肇『ドイツ・ユダヤ精神史』

.クッファーバーグ『メンデルスゾーン家の人々』

上田和夫『ユダヤ人』

一條正雄『ハイネ』

.ドイッチャー『非ユダヤ的ユダヤ人』

朴鐘鳴『在日朝鮮人』

植村邦彦『同化と解放』

金泰泳『アイデンティティ・ポリティクスを超えて』

中野秀一郎編『エスニシティの社会学』  

G.W・オルポート『偏見の心理』