同和問題への取り組みの地域格差

阿久津歩

 

l       はじめに

現代日本の抱えている社会問題は何かと尋ねられて、不況や少年犯罪と同様に「同和問題である」と答える人はどの位いるのだろう。もはや皆無に近しいのではと考えてしまうのは、私だけだろうか。それは、現実に問題が解決したという意味ではない。人々の意識の中でのみ「同和問題」が廃れ、解消されぬまま存在を黙殺されかけていると言いたいのである。

この基礎演習が開始されて以来ずっと、私は同和について学んできた。理由を挙げるとすれば「必要なのに学んだ事がないから」でほぼすべてが言い尽くせる。何しろ私は同和教育をまったく受けた事のないまま義務教育を終え、高校を卒業、今では早稲田大学で教師を目指していると言うのだから、日本の教育制度とは恐ろしいものだ。同和問題なんてもうないのよ、とでも言わんばかりである。

・・いやいや待てよ。ここで一概に「日本の〜」などと言ってよいものか?と中間報告のレポートに追われながらふと思い、小規模なアンケートを行ってみた。その結果、小さな用紙に不似合いな程の成果を得る事ができた。

同和に関する知識、被差別部落に対する意識は、地域によって大きく異なる。質問事項が少なく曖昧だった部分を差し引いても、その傾向は明確であった。

例えば、「同和問題はかつて深刻な問題であったが、現在ではほぼ解消した」に○をつけた大部分は東北出身者であり(関西出身者は0)、逆に「未だ根強く残っている」を選ぶのは関西出身者に集中した。また、同和教育が盛んに叫ばれ、事実行われ、私生活でも身近に被差別部落を感じる機会も多かったという関西地区の傾向に対し、関東圏内の人々は、全体的に一応の知識は持っているものの、体験をもって知っているという声は挙がらなかった。なるほど、と思ったのは、東北出身者の中で出ていた「部落」=「村・集落」と同義語として扱ってきたので、その語の持つ否定的・差別的なニュアンスや偏見的なイメージはぴんと来ないという意見だ。その場に居合わせた大阪人のS君が面食らった表情をしていた事は言うまでもない。

中間報告の時点ではそれ以前の段階だった為に殆ど触れられなかったが、今回は最終報告として、現代の同和問題を「西型」と「東型」に分け、様々な角度から比較しながらその大きすぎる「地域格差」に焦点をあててみようと思う。


l       「東日本」と「西日本」

同和問題を地域ごとに考えていく上で、最も大きな分類の単位は「東日本」

と「西日本」と言えるだろう。まずはそれらの特徴からまとめてみたい。

    同和問題「東日本」型

一言に東日本と言っても勿論地域差はある。が、共通していることはと言えば、「差別が見えにくい」と言うことである。

東日本は、部落差別の起源と言われる江戸時代からもともと被差別部落の数が少なかったこともあり、偏見や差別意識が比較的薄かった。さらに明治〜戦後の人口流入・流出が伴い、東日本の被差別部落は少数散在化し、減少の道を辿った。

ここで見落としてはならないのは、「まだなくなってはいない」と言う事実だ。東日本、関東圏内にも被差別部落は確かに存在し、差別を受けている人々がいるのである。

偏見や差別意識が薄いということと、関心がない・知らないという事では、例え「差別が目立たない」現象が同じであっても、その内実は全く違う。この意識が、東日本の民衆、また教育には欠落している様に思える。「知らないから差別抜きで付き合える」というのは、裏を返せば「ブラクは差別されるもの」、立派な差別発言である。ここから見えてくるのは、日本の東部・北部の同和問題への取り組みの甘さであり、怠りである。

東日本型といっても、北海道は例外的であると言えるだろう。文献で全国の同和地区・被差別部落を調べる際、北海道がちょん切られている分布図を見かけることが何度かあった。私の勉強不足かもしれないが、北海道には被差別部落が殆ど(全く?)ないのである。その代わりというわけではないが、北海道にはアイヌ民族の暮らす地域があり、それについての教育も行われている。

    同和問題「西日本」型〜歴史的背景を踏まえて〜

西日本の特徴は、東日本と対を成す様に「差別が見える」ということだ。勿論こちらにも地域格差はあるのだが。

西日本には、江戸時代から多くの被差別部落が存在していた。差別的な法令を出す藩も多々あり、人々の偏見・差別意識は古くから根強いものとなってしまっていた。それは明治政府が解放令を発布した際、西日本各地で「解放令の撤廃」を掲げて一揆や暴動が起こったことからも窺える。そのため、明治〜戦後の人口流入・流出により東日本の被差別部落が減少傾向を辿ったのに対し、西日本では増加傾向に陥るという事態が起こった。

江戸時代の「えた村」などの<被差別民の集落>の系譜をひいた地域が近代以降の被差別部落であるならば、数量的な増減はそれほどないはずだ。が、実際は大きく増減している。例えば、兵庫県神戸市や広島県呉市、京都府舞鶴市などは、江戸時代「えた村」はなかったにもかかわらず、明治時代になると被差別部落が存在している。この点は個人的にとても興味深く感じたので、少し長くはなるが具体的な事例を挙げておく。

神戸は幕末に開港してから急発展した都市だ。神戸では外国船に食肉を供給する必要から屠場が設けられた。そして、そこで働く労働者や、船の荷の積み下ろしを行う港湾労働者が集中して暮らす地域が被差別部落となっていった。「神戸の場合は四国の被差別部落から、また舞鶴の場合は山陰地方の被差別部落の人々が移り住んでつくられた」とも伝えられているが、そこに住む全ての人がそうであったわけではない。そもそも、周辺住民はそこに住む人々の祖先や出身を確認した上で差別したのではない。周辺住民は、よそからやって来て、屠場・港湾労働・建設労働などの仕事をする人々を蔑み、彼らの暮らす地域との交流を避けた。それまでに持っていた被差別部落への偏見の上に、さらに職業に対する新たな偏見を重ね合わせて、その地域を次第に被差別部落と見なしていったのだ。

福岡県では江戸時代から石炭を掘っていたが、その頃から「石炭掘りはいやしい仕事」と見なす傾向があった。明治時代になると、そこへ西日本各地から人々が集まって来た。他の地域の被差別部落から来た人もいたが、全ての人がそうというわけではなかった。しかし地元住民は、よそ者である彼らを日常生活の交流から排除していった。その結果、新しい被差別部落が形成されることになったのだ。

これらのことは<被差別部落かどうかということは、その周辺に住んでいる人々が決めた>ということを示している。

このように「江戸時代の身分制度の名残」とだけでは言い尽くせない差別意識が、西日本の様々な地域で現在もなお深く残っている。

ただ、西日本では差別的な意識とともに、それらを批判する動きも盛んに見てとれる。同和教育は広く行われ、施設を使った催し等にも取り組んでいる。近年ではインターネットを用いた情報公開やチャット上での問題提起、語らいなども見られる様になったが、その発信地もやはり西日本が中心だ。

 

 

【まとめ】

   東日本=歴史的に偏見・差別意識は低いが、同様に関心・問題意識も低い。被差別部落は少数散在、明治以降減少傾向。

   西日本=歴史的に偏見・差別意識は高いが、同様に関心・問題意識も高い。被差別部落は大規模集中型、明治以降増加の後停滞。地域ぐるみの催し、同和教育等が盛んに行われている。

 


l       結婚差別から見る差別意識の地域格差

ここでは、具体的に人々の差別意識を比べてみる。日常生活の中で「部落差別」を感じることがほとんどない人にも、比較的想像しやすいだろうという理由で「結婚差別」を題材にした。

≪西日本≫

 ○結婚差別事件

   結婚差別事件とは、「部落出身者である」ということを理由に結婚(交際)を反対もしくは破棄されることをいう。そして、被差別部落出身の若い命がしばしば絶たれてきた。

   1971年1月、大阪府住吉区のアパートで、徳島県の部落出身女性(当時22歳)が自殺した。女性は結婚相手の男性とともに、男性の兄と母親に、自分が部落出身であることを打ち明けた。だが、「あんたの家は血筋が悪い」などという理由で結婚を許されず、一連の差別発言を受け続ける中で将来を悲観し、自らの命を絶った。遺書には、次の様に記されていた。

   「17の時に知り合って20の時まで3年間、本当に優しい恋人だったと思います。でも、これ以上私がいると、いつまで経っても、貴方は幸福になれません。どうか、この次女性を愛する時は、健康で家柄の良い、お母さんに気に入ってもらえる人をお嫁さんにして下さい。お幸せに。」

   これに対し、1983年大阪地裁は「相手が被差別部落出身であることを理由にした婚約破棄は公序に反する違法行為」だとして、差別者側に慰謝料の支払いを命じる判決を言い渡した。勝訴したとは言え、被差別者側には虚しさとやり切れない思いが残る。しかしそれでも、泣き寝入り(最悪の場合は自殺)による差別の追認ではなく、差別者は社会的制裁を受けるべきだとの通念を、公権力(裁判所)が支持した点には、意義があったと言えるだろう。

   1985年10月、部落解放同盟大阪府連は「結婚差別犠牲者追悼の集い」を開いた。この場では、大阪府北部の衛星都市に住む女性(19歳)が自らの被差別体験を発表した。彼女は84年7月まで、大手衣料品会社に勤務、同僚の同じ年の男性と交際を始め、やがて結婚を誓い合う仲となった。ただ、彼女の姉も、部落出身を理由に交際相手から結婚を反対されていたので、トラブルを避ける為、相手に出身を打ち明けた。当初、その男性は「そんなこと関係ない」と言っていたが、島根県に住む両親が猛反対、その説得に負け、85年1月彼女に別れを告げた。このトラブルから、彼女が部落出身であることが職場に知られ、彼女はいたたまれず退社した。両親の差別に負けた男性も苦しんだ。苦しみはしたけれども、差別の枠組みの中で別れを告げた事実は残り、彼は「再び交際する気はない」と言う。彼女は集会で「私は何度も死のうと思った。悔しかった。腹が立った。だって同じ人間やん。どこが違うのん」と手記を読み上げたのだった。

 

 ○結婚に関する意識調査〜親の意見・子の意見〜

   これらのような事例からは、次のことを読み取ることができる。差別者側が別れを切り出す背後には、多くの場合、親や親戚が介在している。自らの愛を抑圧せんとする親や親戚を、当事者は結果的に受け入れて、等量もしくはそれ以上の抑圧を被差別者に与えてしまうのだ。現代学生の意識調査を実施した野口道彦・大阪市立大学教授(部落問題論)のデータ(次ページ・1979年調査)でも、そのことは明らかだ。

『将来、結婚の相手が部落の人と分かった場合どうするか』

                  「良い人なら結婚する」  33,7%

                  「良い人でも結婚しない」 19,0%

                  「わからない」      43,3%

    このうち、「良い人なら結婚する」「わからない」と答えたものに次の質問をした。

    『部落の人との結婚に家族や親戚の猛烈な反対にあった場合どうするか』

               「結婚を諦める」(差別同調型) 14,5%

       「その時にならないとわからない」(差別保留型) 45,5%

                                      

また、京都市の市民意識調査(1980年)では次のような結果となった。

    『もし、あなたのお子さんの結婚相手が「同和地区」出身の人であるとわかった場合、あなたならどうしますか』

           「そういうことにかかわりなく、結婚を許す」 17%  

           「子どもの意志が固ければ仕方ない」     41%

           「その時にならないとわからない」      28%

           「絶対に結婚を認めない」          14%

    他の府県の意識調査では、別の質問の仕方をしている。

    『身内の人の結婚相手が「同和地区」出身者とわかった場合、あなたはそのことを意識しますか、しませんか』

      「意識する」と答えた人の割合  広島県(1979年) 61%

                      大阪府(1979年) 56%

                      高知県(1981年) 44%

                      山口県(1980年) 43%   

    

    ・・質問の仕方によって、回答結果はかなり違う。「結婚を許すか、許さないか」という、直接、結婚差別にかかわる質問の仕方よりも、「意識するか、しないか」という漠然とした質問の方が「結婚において、相手の人が部落であることにこだわる」と回答する割合が高くなる。積極的に差別することはなくても、自分の偏見を打ち崩せずにいる心理が窺える。

    また私は、こういった差別意識に関する調査に対して「(その時になってみないと)わからない」と明確な回答を避けている人々は、実際にその場面に直面したらほぼ確実に「差別する側」に回ると考える。なぜなら、「明確な態度を持ち得ていない」ということは、「多数の意見に左右されやすい」ということだからだ。自分の態度を曖昧にしたまま、「周りのみんなが反対するのだから仕方ない」と他人のせいにしてゆく。その意味で、このタイプの人々は、差別する可能性を強く持つと言えるだろう。そしてもう1つ、京都市の回答の「子どもの意志が固ければ仕方ない」というものも、「自分は納得したわけではないけれど・・」という本音(差別意識)が垣間見える。但しこのタイプは、「結婚差別はよくない」ということを全くの建前と捉えている場合と、規範と捉え本音とのギャップに葛藤している場合とが考えられる。つまり全体を通して、結婚に関する差別意識が全くないと言える人は、残念ながらほんの一握りなのである。

 

受け継がれる差別意識

    前ページの調査結果から読み取れることとは一体何だろう。ここで、もう1つ意識調査の資料を挙げてみる。関西のある大学の学生達を対象にしたものだ。

    

『あなたが結婚しようと思う相手の人が部落出身者だったとして、その人を家族に紹介したら、あなたの家族の人達はどんな態度を取ると思いますか』

         「頭から、とんでもないと反対するだろう」  24%

          「迷いながらも、結局は反対するだろう」  38%

       「迷いながらも、結局は賛成してくれるだろう」  29%

        「ためらうことなく、賛成してくれるだろう」   9%

                             (1984年)

 

このように、部落出身者との結婚に際して、「親がどんな態度をとるか」についての若者達の予測は、かなり厳しい。6割の学生達が「親の反対」を予想している。「無条件の結婚賛成」を予想するものは1割に満たない。また、前ページを見返してみると、若者達の多くはその予期される「親の反対」に打ち勝つ意志も自信も備えているとは言い難い。結局、差別的雰囲気に飲まれ、染められ、同調していってしまうのだ。

若者達は、まず自分自身の差別意識と戦い(その意識も親や周りの大人の影響は大きいと考えられる)、予想される「親の反対」への不安と戦い、そして家族や親戚の実際の抑圧と戦わなくてはならない。その長い道のりを前に、多くの若者が戦線離脱、または敵前逃亡してしまう。「部落は嫌」「みんなが反対するから・・」などと言っていては、問題は解決しない。これは、ただの親子喧嘩ではない。古き悪しき慣習と、新たな価値観とのせめぎ合いなのである。

「自分の愛する人と結婚する」こんな当たり前のようなことが、実はこの大きく複雑な問題を解決させる第1歩になるのかもしれない。

 

【まとめ】

西日本では、結婚差別(またはそれに準ずる意識)が根強く残っている。親世代の持つ差別意識の影響や直接的な抑圧が、若い世代の部落との「結婚忌避」に拍車をかけている。

 

≪東日本≫

    言い訳がましくて申し訳ないのですが、東日本における結婚差別の資料が見付からなかったので、ここは今までのノートと自分で作ったアンケートと、東部・北部出身者への聞き込みをもとにまとめてみました。

  

「両側から越える」発想の転換

東日本における被差別部落減少の理由の1つに、被差別部落内外での結婚率の増加が挙げられる。(西日本でもこういった現象の見られる地域もある。)それに伴って「被差別部落」という器への出入りが盛んになり、その境界線は曖昧になりつつある。また、時代とともに、部落内出身者と部落外出身者との子どもも生まれ育ち、また新たな命を育んでいる。父親が部落出身者なら、本籍が違ってもその子は「部落民」か?祖母や、叔父が部落出身なら?血が繋がっていなければ?素朴な疑問が続々と持ち上げられてくる。今や、自分の出身地が被差別部落であったと知らないまま過ごしている3代目、4代目「部落民」も少なくない。

こういった現象・傾向が見られるのは当然のように感じられるが、これらもまた東日本地域の偏見・差別意識の低さを抜きにしては起こらなかった動きといえる。

かつて解放運動のスローガンとして、差別意識の溝を川、部落内外を岸に見立てて「両側から越える」という標語が掲げられていたことがあったが、川も岸も識別し難い今となっては、古き発想と言えるだろう。

 

    自作アンケートの結果から

『あなたの婚約者は「部落民」だ、と言われたらあなたはどうしますか?』

 「結婚します。」 (北海道・21歳♂)(山形県・19歳♀)

 「特に意識せずに結婚する。」 (秋田県・22歳♀)

 「気にしない。」 (青森県・19歳♂)

「結婚はするけど、反対が大きそうならあえて周囲には“部落民”とは伝えないかも?」 (長野県・2?歳♀)

「全然気にしない。もちろん結婚する!」 (岩手県・18歳♀)

「だから何だといってやる。むしろ燃える。」 (宮城県・20歳♂) 

「結婚して、もしそのせいで不自由したら、部落差別の少ない(ない)地域へ引っ越して2人で暮らす。」 (福島県・2?歳♀)

「知らない分多少気になるが、覚悟して結婚する。」 (茨城県・21歳♀)

「結婚する。」 (新潟県・23歳♂)(群馬県・27歳♀)(静岡県・19歳♂)

        (東京都・19歳、21歳♀)(千葉県・21歳♂)

「結婚する。色々教えてもらう。」 (埼玉県・19歳♀)

「普通に結婚します。」 (山梨県・18歳♀)

 

    日常の会話から

埼玉県蕨市在住 Yちゃん(中2・♀)の場合

私:「Yちゃん『同和問題』って分かる?」

Y:「・・?分かりません。」

私:「えっ全然わかんない?『部落差別』とか聞いたことない?」

Y:「・・・?」

私:「士農工商、えた・ひにんとかやらなかった?」

Y:「あ、それはわかります!」

私:「それが今も残っちゃってるって言われてるんだけど・・学校で習わなかった?」

Y「や、習ってないですねぇ。」

私:「じゃあ、もし自分の婚約者がそういうことで差別されてる人だったらどうする?」

Y:「う〜ん、よくわかんないし、気にしないですね。」

埼玉県浦和市在住 母(42歳・♀)の場合

 私:「私が『部落の人と結婚したい』って言ったらどうする?」

 母:「何いきなり。あたしは別に構わないわよ。あんたが決める事でしょ。」

 私:「親戚とかやっぱ反対するのかな。」

 母:「どうかね、お婆ちゃんとかはわからないね。」

 私:「お母さんはお構いナシなの?」

 母:「お嫁にいくのも苦労するのもおまえなんだから、おまえがいいと思って選んだなら別に構わないよ。」

 私:「そういうもんかぁ。」

 

【まとめ】

  東日本の被差別部落の多く(&西日本の一部の地域)では、部落内外を結ぶ結婚や出産の増加に伴い、「部落」の境界線が曖昧になってきている。人々の結婚差別的な意識は若い世代になるほど低くなる。

 

l       インターネットから見る各地の取り組み  

情報化社会の発展とともに、近年、ネット上でも同和問題に関する様々な動きが見られるようになった。ここでは、その一部を紹介する。

同和問題関連の各地のホームページ

http://www2s.biglobe.ne.jp/~ibaro/ 茨城労連

http://www.jca.apc.org/~kswbr/Center.html#anchor208635 千葉県人権研修センター

http://www.naxnet.or.jp/~saikam/YUUGOU.htm 国民融合和歌山県会議 

http://www.sikasenbey.or.jp/~nakiren/kan03.html 奈良県部落解放研究所

http://www5a.biglobe.ne.jp/~akio-y/heiwa 奈良宗教者平和協議会

http://www1.mahoroba.ne.jp/~suihei/index.html  水平社博物館(奈良県)

http://www.asahi-net.or.jp/~qm8m-ndmt/index.html 京都部落問題研究資料センター 

http://www.bll.gr.jp/ 部落解放同盟(本部=東京都港区・大阪支部=大阪市浪速区)

          ⇒東京都、奈良、三重県に連合会

http://www.edu-c.pref.osaka.jp/index.htm 大阪府教育センター内人権教育室

http://www.edu-c.pref.osaka.jp/~ddkyoken/index.htm 大阪同和教育研究協議会

http://blhrri.org/blhrri/somu/blhrri/about.htm社団法人 部落解放・人権研究所(大阪)

http://dhva.phys.sci.osaka-u.ac.jp/mitikusa/mitikusa.html 大阪大学部落解放

研究会(みちくさ)   

http://www.liberty.or.jp/ 大阪人権博物館・リバティおおさか

http://www.try-net.or.jp/~obpri/mainpage.htm 岡山部落問題研究所

http://village.infoweb.ne.jp/~fwip0981/kenkairen.htm 島根県部落解放運動連合会

http://www2.osk.3web.ne.jp/~mcfjoka/ 全解連泉佐野支部(島根県解連に接続可) 

http://www.pref.mie.jp/DOKYOC/news1.html 四国学院大「部落解放論」

http://www.museum.comet.go.jp/hasegawa/museum/liberty.htm 徳島県立博物館 

http://www.jca.apc.org/~teru-iri/tokoko/sr19980600a.html  所沢高校人権だより(狭山事件)

 

・・以上が、地域の特色をよく表していると思われたホームページだが、この他にも各教育現場(特に小学校が多い)で行われている同和教育・人権教育について公開したり、大学の演習の班やサークル、または私的な研究を発表しているものも多い。固めの文章中心の「大人向け」のものから、写真や映像をふんだんに取り込んだ、彩り鮮やかな「お子様向け」に至るまで、内容は実に様々だ。

また、ざっと見ただけでも発信地の殆どが、大阪を中心とした西日本であることがわかる。これは私の意図的なものではなく、事実、東日本発信のホームページは殆ど見付からなかったのである。反対に、ここには載せなかったが、大阪・奈良には上記の他にも色々なものが見てとれた。

【まとめ】

  近年、インターネット上でも同和問題関連の様々な情報が公開されるようになった。それらのホームページは、現在も西日本を中心に各地へ発信されている。

 

l       主要全国集会開催地から見る各地の取り組み

    同和問題関連の全国集会のうち、主要なものの開催地・開催回数から、その地域の関心の深さを見てみよう。(1999年まで)

   ≪全国水平社大会≫・・16回中

   京都府=5回  大阪府=4回  福岡県=2回  東京都=2回

   奈良県=1回  広島県=1回  名古屋市=1回

≪部落解放同盟全国大会≫・・55回中

東京都=17回 大阪府=12回 京都府=11回 福岡県= 6回

広島県= 2回 奈良県= 2回 兵庫県= 1回 岡山県= 1回

香川県= 1回 和歌山県=1回 大津市= 1回

≪部落解放全国女性集会≫・・43回中

京都府=4回 福岡県=4回 広島県=3回 和歌山県=3回      大阪府=2回 奈良県=2回 岡山県=2回 三重県=2回 高知県=2回        鳥取県=2回 群馬県=2回 東京都=1回 神奈川県=1回       長野県=1回 栃木県=1回 天理市=1回 大津市=1回

兵庫県=1回 徳島県=1回 大分県=1回 鹿児島県=1回

高松市=1回 香川県=1回 熊本県=1回 名古屋市=1回

山口県=1回

≪部落解放全国青年集会≫・・42回中

大阪府=4回 京都府=3回 広島県=3回 長野県=3回 鳥取県=3回

香川県=3回 東京都=2回 岡山県=2回 高知県=2回 埼玉県=2回奈良県=1回 福岡県=1回 栃木県=1回 三重県=1回 兵庫県=1回 群馬県=1回 熊本県=1回 大分県=1回 佐賀県=1回 長崎県=1回

和歌山県=1回 名古屋市=1回 唐津市=1回 大津市=1回

 

≪部落解放全国高校生集会≫・・30回中

大阪府=3回 和歌山県=3回 広島県=2回 三重県=2回

熊本県=2回 鳥取県=2回 京都府=1回 奈良県=1回 福岡県=1回

山梨県=1回 神奈川県=1回 兵庫県=1回 長野県=1回

徳島県=1回 大分県=1回 長崎県=1回 群馬県=1回 香川県=1回

滋賀県=1回 新潟県=1回 高知県=1回 宮崎県=1回

≪全国同和教育研究大会≫・・50回中

  大阪府=6回 奈良県=6回 広島県=5回 三重県=4回 兵庫県=3回 福岡県=3回 熊本県=3回 高知県=3回 京都府=2回 岡山県=2回

  和歌山県=2回 東京都=2回 徳島県=2回 大津市=2回

  鳥取県=1回 愛媛県=1回 大分県=1回 長崎県=1回 

  鹿児島県=1回

≪人権啓発研究集会≫・・12回中

大阪府=2回 奈良県=1回 福岡県=1回 和歌山県=1回      

徳島県=1回 鳥取県=1回 香川県=1回 横浜市=1回 大津市=1回

名古屋市=1回 四日市市=1回

 

【まとめ】

   同和問題関連の主要全国集会も、京都・大阪・奈良を中心とした西日本で主に開催されている。東では東京、南では福岡も重要な位置を占めている。

 

l       全体のまとめ

 

東日本=歴史的に偏見・差別意識は低いが、同様に関心・問題意識も低い。被差別部落は少数散在、明治以降減少傾向。さらに部落内外での結婚・出産を経て、境界線は曖昧に。同和問題に関する取り組みは殆ど行われておらず、同和問題について全くわからないという人も、若い世代では決して珍しくない。

   [問題点]西日本の現状を無視するかのような関心・問題意識の低さ。

西日本=歴史的に偏見・差別意識は高いが、同様に関心・問題意識も高い。被差別部落は大規模集中型、明治以降増加の後停滞。地域ぐるみの催し、同和教育等が盛んに行われている。長年続けられてきた全国集会に加えて、近年ではインターネットを使った取り組みも始められている。しかし結婚差別に代表される人々の偏見・差別意識は今だ根強く、それらは大人から子どもへ、親から子へと受け継がれるような構造になってしまっている。

[問題点]捨てられない固定観念。受け継がれる偏見・差別意識。

l       終わりに

・・とりあえず、間に合って良かった、と胸を撫で下ろしているわけなのですが、何しろ疲れました。目と頭が・・。今回はペンだこ君がいない代わりにうさぎ目になってしまいました。

  前回までのレポートでは、「同和問題」を扱うと歴史の勉強、「同和教育」を扱うと教育学にとなかなか「社会学らしい」ものが作れなかったので、今回はその辺りを意識して取り組みました。本当はもっと細かく分類して比較したり、同和教育の浸透度なども調べたかったのですが、資料が見付かりませんでした。それにしても東日本の被差別部落に関する資料はなさすぎですね・・。

  このレポートの結論として、そしてまた私が1年かけて同和問題に取り組んだ結果として言えることは、『同和問題はまだ現実に続いていて、それを解決するべきなのは、私達の世代なのだ』ということです。

  ここ数年で、日本の社会体制や教育制度は大きく変わり、人々の価値観も実に多様になりました。確かに「故き善き伝統」を絶やさんとする側面があることも見落とせないものの、様々な固定観念に囚われなくなったと言ってもいいでしょう

それに加え、このレポートでも触れたように被差別部落内外の境界線が崩れかけているという事実があります。

 社会に「揺れ」のある今がチャンスだ、と私は思っています。この機会を逃すと、次の危険性が挙げられると思います。1つは、主として西日本における「差別意識の再定着・再安定」であり、もう1つは東・北日本での「同和問題の黙殺または忘却」です。

現在ほど、親世代と子世代の価値観やものの考え方にギャップがあったことは今までなかったろうし、おそらくこれから先もないのではないでしょうか。「子ども」に変化が起きている今だからこそ、だめだだめだと思いながら受け継がれてきてしまった偏見の鎖を絶ち切ることができるのでは、と思っています。

また、東日本地域で、差別が忘れられるのがどうしていけないのだ、という意見もあるでしょう。部落差別がなくなったならそれでいいじゃないかと。しかし、それでは全く問題の解決にはなっていないのです。戦争が終わったから戦時中のことは全て忘れましょうと言っているのと同じです。過去の過ちは、未来へ活かさなくてはなりません。あの時何がいけなかったのか、ではどうすればよかったのか。次に同じような場面に直面したら、どう対応するべきなのか。

悲しいことに、この世にはあらゆるところに差別がはびこっています。

私達は、学ばなくてはならないのです。2度と同じ過ちを繰り返さぬように。

 

                              2001110日.

l       参考文献・リンク

「解放教育論入門」      八木晃介    批評社

「社会『同和』教育変革期」  江嶋修作 編  明石書店

 

http://www.hyogo-edu.yashiro.hyogo.jp/~jinken-bo/suishin/index.html

 人権教育推進資料

http://www.somucho.go.jp/chiki/chiki_f.htm

 総務庁地域改善対策室

http://www.city.hikone.shiga.jp/shogai/learn/yukidoke/No34/index.html

 ゆきどけ≪同和問題啓発資料≫

http://www.jcp.or.jp/Day-akahat/9903/990325_faq_dowa.html

 日本共産党「部落問題の現状は?」

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 東京都・人権施策推進のあり方専門懇談会の開催結果

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 全解連・新井HP

http://ha2.seikyou.ne.jp/home/Kazushi.Yano/siryou/sabetsu/sabetsu1-2.html

 部落問題の概略

http://jinbun1.hmt.toyama-u.ac.jp/socio/satoh/kougi/97kakuron/2.html

 日本の差別問題・第二回

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 人権関係リンク集 

http://www.netpro.ne.jp/~hama/link/link1.htm

 教育活用ホームページリンク集(人権教育)

http://www21.big.or.jp/~jinkenet/index.html

 人権ネット(人権資料・展示全国ネットワーク)

http://www.kenkyoso.or.jp/timeskiji/douwa.htm

 「同和基礎調査」