日本の社会階層について

衣川 東吾

 

現在、日本の社会階層はどのようなものになっているのか。日本はどのような社会構造を目指すべきなのか。その答えはもちろんこのレポートでは出るはずがないが、日本がどのような社会構造かを知ることは価値があるはずである。現在の状態を把握し、それをどのように変化させていくかが重要である。そこで日本の社会階層について、調べ自分なりに検討したことを以下に述べたいと思う。なお社会階層の定義は「全体社会において社会的資源ならびにその獲得機会が、ひとびとの間に不平等に分配されている社会構造状態を表示する操作概念である(*6 富永健一)」として、以下に論を進めたい。

社会における階層は、都市ごとに異なるかたちになっており、その都市ごとの歴史、地理、人口構成によって様々な状況が考えられる。海外の例をあげれば、多人種によって構成される社会であるアメリカは白人、黒人、アジア系、ヒスパニックなどの人種(または民族)ごとに階層を成してしまっているという社会問題がある。この問題には、移民としてアメリカに来た時期、状態、そして民族性、それに対する偏見などの非常に複雑な要素が絡み合っている。しかし、比較的新しい移民が貧しいという点を無視して考えても、数世代前からアメリカに住みアメリカ人として生活している白人と黒人の間に明らかな差が現存していることから、アメリカ社会の平準化は人種によって形成されている階層の壁との戦いでもある。

では日本の社会はどの程度の平等性を持っているのか。日本ではどのような社会階層の問題があり、社会移動がおこっているのか。戦後、日本が目標に掲げてきたはずの平等化がどの程度現実のものとなっているのか。現代の日本の社会を、社会階層という面から私なりに捉え直してみたい。なお自ら調査結果をデータとして扱う技術がないので、すでに統計的処理をほどこされたデータを用い考察をくわえることにした。

 

【農民層の解体】

戦後日本の社会階層・階層移動を考えるときには日本の近代化・産業構造の変化を無視することはできない。戦後の急速な産業構造の変化のなかでもっとも変化した層は、いうまでもなく農民層である。農家人口の変動をみると、敗戦後急増しピークに達した1950年では約3700万人であったが、その後減少を続け1995年では約1500万人となっている。つぎに農業従事者数をみると敗戦後1955年の約1900万人から1995年の約900万人まで急激に減少している。この農業従事者数には兼業農家も含まれ、1995年現在では、年に150日以上農業に従事しているのは約205万人に過ぎない。この戦後の農民層の急激な変化は、日本の産業構造の変化のはやさを表している。それは同時に、農村から流出した人口・労働力の受け入れ先としての都市の発達を意味し、農村の解体と都市の発達という構図をもっている。

農民層からの流出者の学歴が非農民層出身者と比べて全体的に低いことも指摘されている。細かい進学率などは後で述べるが、「高等教育8,2%(非農民層出身者25,3%)」(*1橋本健二 2000)この分析から橋本は「農民層は、労働者階級、とくに下層労働者層の供給源として重要な位置をしめていたといえる」と述べている。これは農民層出身者が下層労働者として都市に吸収されたという、社会構造の変化のある意味では残酷な結果としてとらえられる。このかつて行われた大規模な移動が純粋移動にせよ、強制移動にせよ、機会の均等が与えられていたとはいえないだろう。これは態度決定地域の概念「農村出身者が都市の下層部分に流入する」(*2)のパターンに当てはまるだろう。

多くの人を流出した農村は過疎化が進行し、現在ではその結果として人口の減少と高齢化が深刻な問題となっている。またそれにともなう村おこし(リゾート化)、後継者不足も今日的な農村の抱える問題である。一方、1960年代に急激な農村から農民層の流入を受け入れた都市は人口が急増し、特に大都市において過密が問題となった。そして流入が一段落すると、今度は都市の郊外や周辺に移動する動きがでてきた。

1960年付近から激減を続けた農業従事者は農村からの大量流出によって高齢化がすすんでいる。この現状を橋本は農業従事者の平均年齢が59,9歳であること、また全体の46,3%は65歳以上であることから「1995年というこの時点ですでに、戦後日本の農業を特徴づけてきた自営小農体制は崩壊に近づいているというほかない。2005年に行われるであろうSSM調査は、おそらくはその全面的な崩壊過程を扱うことになるだろう」(*1)と述べている。戦後すぐには最大の階層であった農民層の消滅はなにを意味するのか。これは産業構造の変化だけでとらえられるものではなく、日本がどのような社会を目指すかに深く関わる問題である。

 

【社会移動】

つぎに社会移動について考えてみたい。社会移動がどの程度、どのように行われているかを、父の職業(本人にとっては出身階層)と、調査対象者本人の職業に基づく階層の関係を検討することによって、父の属する階層が、子の職業上の階層にどの程度影響するのかをみてみたい。SSM調査(95年度)から得られたデータ(データは*5、P28より)をもとに世代間の階層移動について考えてみる。このデータは、20−69歳の男性の父と本人の職業を専門職、大企業ホワイトカラー、中小企業ホワイトカラー、自営業ホワイトカラー、大企業ブルーカラー、中小企業ブルーカラー、自営業ブルーカラー、農業の8つにわけ集計したものである。

 まず、世代間の流入率(他の階層から流入したものの比率)をみると、大企業ブルーカラー、中小企業ホワイトカラー、ブルーカラーの流入率がいずれも80%を越える高さを持っている。そして流入率の低い方をみると、やはり農業が12,9%と圧倒的に低い流入率にとどまっており、農業の解体が読みとれる。他の階層からの流入が少ない理由は、農業用地などの資本を手にいれることが難しい上に、将来に向けても産業としての発展が困難だという理由が考えられる。農業の次に流入率が低い階層は自営ブルーカラー65,2%、ホワイトカラー58%である。つぎに流出率(他の階層から流出したものの比率)をみると、大企業ブルーカラー、中小企業ホワイトカラーが高く、この層はほとんどの人が親子一貫した職について居ないことがわかる。当然、農業の流出率も高く、世代間で継続して農業を営むことの難しさがうかがわれる。農業からは流出が多いものの、流入率が著しく低く、固定的な階層といえるだろう。つぎに流出率が低いのは専門職であるが、他の階層からの流入が72,8%あるので、それほど固定的ともいえない。 つぎに、父親の階層と本人の移動先の階層のデータをみたい。なお職業上の分類は上のデータと同じである。このデータから父親の階層から本人がどの階層へ移動したのかがわかる。ここで農業から他階層への移動先をみると、農業からの移動469件から、中小企業ブルーカラー(133件)がもっとも多く、自営業ブルーカラー(75件)も多い。このデータは農民層から押し出された人が相対的にではあるが不利な社会移動をしていることを表していると考えられる。しかし、農業からの移動でもっとも多い中小企業ブルーカラーについで多いのは大企業ホワイトカラー層(78件)に移動した人ということは注目すべきだろう。これは全体的な学歴の底上げ効果であると思われる。出身階層別の大学進学率から、農業出身者の30%は高等教育を受けているのである。とはいえ、やはりもっとも顕著なのは農業の解体である。そこで農業とおなじく流出率が流入率を上回っている層を探すと、農業ほどではないにせよ数字からは農業と同じ傾向が見られる自営業ブルーカラーである。これはさらなる産業構造の変化を表すものだろうか。次回の調査が待たれるところである。SSM調査の95年のデータ全体をみる限りでは、農業を除いて日本の社会移動は活発に行われているように思える。

農民層から流出した人々がどの階層に到達したのか。都市と地方としての農村との関係を表すものとして次のデータを挙げておきたい。ここで異なる階層分類の視点において、1995年のSSM調査から調査時点に40歳〜59歳の男女をサンプルに分析が行われているのでそれを挙げておきたい。なお比較の対象として、同じ年齢の非農民層出身の非農民層をとっている。「流出者は非農民層出身者に比較して、労働者階級に所属する可能性が高い。初職時点では75,4%までが労働者階級で(非農民層出身者66,3%)、新中間階級は14,7%とすくない(同23,4%)。現職でも労働者階級が47,0%と約半数を占め(同35,2%)、資本家階級・新中間階級の比率が低い。」(*1橋本健二 2000)

 

【階層間格差の推移】

現在の日本の社会階層はどのように推移しているのか。またどれほどの平準化をもたらしたのか。過去のSSM調査の結果から考えてみたい。

まず、社会に出る前の段階である教育の分配についてみてみたい。教育は近代化には欠かすことのできないものであり、教育水準の全体的な向上が今日の日本の経済的成功をもたらしたといっても言い過ぎではない。そして階層決定のもっとも大きな要素のひとつであろう。出身階層別の高校進学率(旧制では中学)では、1955年調査では進学率が80%を越える専門階層から10%ほどの農業階層まで、きわめて大きな階層格差があったことがわかる。その後、この格差は急激に減少し続け、最新の1995年の調査ではどの階層からの高校進学率80%を超え、ほぼ均等といっていいほど格差が縮まっている。しかし一方では出身階層別の大学・短大進学率において、1995年調査でも90%を越える専門職階層から、30%程度の各ブルーカラー・農業層とわかれている。上位の専門・大企業ホワイトカラー・自営ホワイトカラー出身の順で進学率の上位は調査開始以来変わらず、下位の階層との差は1985年調査から縮まっていない。全体をみると、高校進学率の全体的な90%付近への到達は学歴社会における全体構造の中の変化である。これに対して、大学・短大の進学率は、全階層にわたる底上げはあるものの、階層ごとの格差が今なお明確に残っている。基礎財である高校進学率、上級財である大学・短大進学率のこの大きな格差は、全体的には格差が減少する方向には進んではいるものの、まだまだ出身階層によって、子が手にする教育に依然影響するということである。ここにデータを示すことはできないが、大学院の進学率となるとより大きな格差の存在が考えられる。

つぎに、もっとも資源の基本的なものといえる所得格差についてみたい。初回調査の1955年から1995年のSSM調査データで、男性の個人収入の累積相対度数によって収入分布の全体的な不平等の度合いの推移を表すデータがある。第3四分位置/中央値と中央値/第1四分位置をとり10年ごと比較する。このデータによれば55年、65年、75年へと個人収入、世帯収入ともに全体の格差は減少したが、75年から95年へはほぼ横這いとなっており、収入の全体格差の減少はみられない。

そして職業階層別の収入格差では、個人収入で上位の大企業ホワイトカラー・自営業ホワイトカラー・専門業層が55年の調査からの推移としてほんの少し全体格差の中で平均値へ近づき、若干の格差解消がみられる。しかし、職業階層別世帯収入において、これもやはり55年から75年まで上位の自営ホワイトカラー・専門業・大企業ホワイトカラーの下げ幅が大きく格差の減少がみられるが、75年以降では自営ホワイトカラーが上方への延びへ転じ、格差が拡大しているようにみえる。 

ここまでみてきたように55年から75年までは学歴・収入ともに一貫して格差減少の方向へ動いてきた。75年以降は中等教育がほぼ国民に行きわたったが、高等教育においては出身階層によっての格差がまだある。所得格差についても75年以降は世帯収入・個人収入ともに横這いといってよいだろう。この平準化の鈍化はすでに前回の85年SSM調査結果などから直井優によって「平均所得は伸びているものの、その分配の平等化に行きづまりが来ていたのである」また「平等化社会の実現への社会的基盤である所得、教育、職業において、70年代以降、構造変動の沈静化の傾向がみられた」(*4 1989)と指摘されている。95年調査の結果は、直井のいう構造変動の沈静化を10年の時間をおいて一部裏付ける結果となった。なお社会の流動性について私の得られたデータは、直井の主張を判断するに足るものではなかった。しかし、1989年から10年を経過した現在ではすでに戦後をささえた平準化への神話はすでに終焉をむかえているといってよいだろう。それは「80年代までのSSM調査の分析が「階層のなさ」を実証する試みだったのに対して、95年は「階層探し」の作業であった」(*3 佐藤・石原2000)という言葉に表されている。平準化への神話が崩れた後の時代の言葉である。

 

【教育の役割】

 階層から社会を考え、あらためて教育の重要さを感じた。高度成長期には高学歴からホワイトカラーという上昇移動がひとつのモデルとしてあった。そしてその時代は終わり、ホワイトカラーは都市にあふれ、むしろ職業的な上昇移動は期待できず閉塞感がただよっている。しかし、大学進学率は上昇する一方である。それは、教育は制度として存在し、階層間の上昇移動を支えるものである、という従来の役割と同時に今日では、高学歴は必ずしも上昇移動を意味するものではなく、到達した階層を保つためのものでもあるからだ。だが、もっとも重要なのは、教育の不平等は不平等を再生産しかねないことだろう。教育が職業に影響をあたえ、職業が所得に影響をあたえる。そして所得が子の教育に影響をあたえる。この循環は確実に世代を越えて影響を与えている。この循環のなかで教育の不平等は階層を固定化し、閉鎖的な社会を生み出すことになる。

 

【外国人労働者】

農民層の解体が進み、かつて農村から供給されていた労働力(半熟練・非熟練職)が外国人労働者によって補われている。新たな労働力の供給源として現在注目されている外国人労働者の増加は、日本に新たなコミュニティを作り始めているだろう。そして日本にエスニシティを基盤とした新たな階層を作り出す可能性がある。しかし残念ながらいわゆるニューカマーと呼ばれる外国人労働者はSSM調査の対象となっておらず、次回以降の調査対象となることを期待するしかない。私は外国人労働者に対するSSM調査は非常に重要なものと考えている。それは、現在は日本の不況によって外国人労働者の入国は80年代後半ほどの勢いはないが、近い将来にまた増加すると考えるからである。アジアにおいて日本はやはり経済的に目指す価値のある国であり、今後さらに労働力の国際移動が増える傾向にあるからである。

 

【目指すべき社会】

「個人は現実に、社会的資源や生活チャンスが不平等に分配されている特定の階層に、所属することになる」(*2 1977)現実にはこの通りである。そして現在は研究者によって平準化が神話として語られ、その崩壊をみる時代である。日本の社会構造を階層という面からみてきたが、日本の社会は豊かになり、日々の暮らしに困るほどの貧困はほとんどみられない。完全に平等な社会が実現不可能ならば、日本人のほとんどが自らは中間層であるという意識をもっている日本社会の持つ階層は、許される程度の範囲内かもしれない。

だが、そこにはまだまだ現実として様々な階層間格差があり、現状では1975年頃までの格差解消の方向性は失われている。富の二極分化の危険が叫ばれるなかで、「勝ち組、負け組」といった二分化の動きをあおろうとするものもある。国際的な経済競争の時代において、効率化を求める社会においてどのように平等を実現するのか。

最後にその基本的な方向性として以下に二つ提案しておきたい。まず、この社会において人としての最低限の生活を保障することである。競争が激化するなかで、成功をおさめることができない者もいる。それをそのままにしておくと、社会の底辺としての階層を形成してしまうおそれがあるからだ。つぎに、機会の平等の追求である。完全な平等とまではいかなくとも、すべての人に機会をあたえるべきであり、これは追求されるべきである。より多くの人が競争に参加することによって社会の活性化が得られるのではないか。

 

 

参考文献

*1 原純輔『日本の階層システム1』東京大学出版会 2000

海野道朗編『日本の階層システム2』東京大学出版会 2000

*2 山根常男ほか『テキストブック社会学』有斐閣ブックス 1977

*3 高坂健次編『日本の階層システム6』東京大学出版会 2000

*4 直井優ほか『朝日ジャーナル』1989,4,7

   直井優ほか編『リーディングス社会学8』東京大学出版会 1986

*5 原純輔 盛山和夫『社会階層』東京大学出版会 1999

*6 富永健一編『日本の階層構造』東京大学出版会 1979