“音楽”という存在〜音楽内・音楽外的視点から〜

大野篤史

1.はじめに

 私は、前期の演習で取り扱った「ヤミ市 幻のガイドブック」の第8章から引き出した研究テーマ“音楽のそれぞれの時代における存在意義”について調査を進めてみた。そこにおいて私は、“社会における文化的営みとしての音楽”つまり、“社会と音楽の関わり”という点にこだわって調査を進めた。その結果浮かび上がってきた学問領域が“音楽社会学”又は“民族音楽学”である。

 なぜ音楽が社会学の研究テーマになるのか、疑問に思われる場合も多いと思う。だが、音楽の外の世界へ視野を広げて捉えた場合、音楽ほど社会現象らしい社会現象はないだろう。しかも、20世紀の音楽はメディアと極めて深いつながりの中で発展してきた為、社会学的な分析が欠かせないはずである。さらに、若者文化との関連も非常に大きい。

 実際、著名な社会学者の中にも、音楽を題材にした論文や著作を残している者は少なくない。例えば、ジンメルは「レンブラント」という本まで出版しているし、ウェーバーもまた「音楽の合理的・社会学的基礎」通称「音楽社会学」という大論文を残している。また、ベンヤミンやアドルノといった非常に芸術に造詣の深い社会学者もいて、多くの著作によって芸術学・美学・音楽学の研究者大きな影響を与えてきた。

 そこで私は、過去に“音楽社会学”においてどのような研究が行われてきたのか、その歴史を辿り、俯瞰することによって“音楽社会学”の様々な“顔”を覗いてみようと考えた。それを知ることによって、現在の音楽社会学の姿や、この分野が抱えてきた問題などが多少なりとも浮かび上がってくると思ったからである。

 

2.音楽社会学の視点

 “音楽社会学”は、その名の通り音楽と社会の関係性を探る学問である。ということは、“音楽学”と“社会学”の両学問領域にまたがった学問だと言えるだろう。ここで、音楽社会学という分野を考えるなら、それは音楽学の下位領域だとも取れるし、社会学の下位領域だとも取れるだろう。だから、音楽社会学のこれまでの研究を辿ろうとすると、次のような三つの視点をとることができる。

T.“社会学”の中で、文化現象の一つである音楽はどのように扱われてきたのか。

U.“音楽学”の中で、音を取り交わしあう人間や社会は、どのように扱われてきたのか。

V.音楽社会学が成立してからは、どのような諸問題が扱われてきたのか。

 

以上の三視点から音楽社会学の流れを辿ってみる。すると、今までに音楽社会学を研究分野に取り上げてきた学者たちは、実に多様な視点から音楽と社会の関係について考察を深めていることがわかる。どの学問においてもそうだと思うが、とりわけ音楽社会学においては、学問領域を見つめる視点や切り口が非常に重要な意味を持っている。

その多種多様な研究を概観して浮かび上がってきたものの中から、私はキーワードと思われる四つの言葉を取り上げてみたい。その言葉を軸に、音楽現象・音楽文化の歴史を追っていこうと思う。キーワードと歴史的タイムスパンの対応関係は以下の通りである。

@.「合理化」―――「歴史的過程のなかの近代」

A.「聴衆」――――「近代内部の変化」

B.「複製技術」――「二十世紀」

C.「消費社会」――「現代」

    

3.合理化の産物としての近代西欧音楽〜歴史社会学的視点〜

 3.1.ウェーバーの合理化論

 音楽はあらゆる時代・あらゆる民族において発展した普遍的な営為だ。しかし、音楽に関して近代西欧においてのみ生じた特殊なことがある。それは独特の“合理化”である。

 ウェーバーは『宗教社会学論集』の有名な「序言」のなかで、次のように問うている。要約すると「なぜヨーロッパ以外の地では、科学・芸術・国家・経済の発展が、西欧に特有の合理化の道をたどらなかったのか」ということである。この「西欧に特有の合理化」のことをウェーバーは「呪術からの解放」とも呼んでいる。

ウェーバーは、この「西欧に特有な合理化」の結果生まれたものとして、次のようなものをあげている。

     経済における資本主義的企業:形式的に自由な労働・合理的経営形態・家政と経営の分離・合理的な簿記

     行政における官僚制組織

     国家における議会制度・憲法・合理的法体系

     学問における近代自然科学:数学的な表現と基礎づけ・実験による検証・組織的研究の場としての大学

     芸術における市場むけ生産物:文学出版物・雑誌・新聞・劇場・美術館

     絵画における遠近法

     音楽における和声音楽[対位法・和音和声法]

 

 以上の諸現象は今日私たちにとって自明な(それゆえ普遍的にみえる)ものばかりだが、実はいずれも近代西欧にのみ発生した、歴史的に見て極めて特殊な現象なのである。そこには独特の“合理化”が一様にみられた。

 

3.2.西欧音楽の合理化

晩年のウェーバーの関心は、西欧近代社会がたどった合理化過程に集中するのだが、彼の未完の草稿「音楽の合理的社会学的基礎」(通称「音楽社会学」)もその視点に貫かれている。

さしあたりウェーバーの関心は西欧音楽独自の音組織にあった。具体的には、合理的和声と調性である。和声音楽はトニック・ドミナント・サブドミナントの三つの三和音の組み合わせによって構成される。これは近代西欧音楽独特のものである。これを可能にするのはオクターブ空間の均質的な構成である。つまり十二平均律である。これがあってはじめて自在な転調が可能になり、和声音楽の表現力は飛躍的に高まる。ところが、実は自然に聞こえる和音にもとづいて調律すると、オクターブがあわないのである。音響物理学ではこれを「ピュタゴラス・コンマの問題」と呼ぶ。この際、近代西欧音楽は聴覚上の調和よりも十二音の間隔の均一化を選択する。つまりよく響くが音楽的ダイナミズムに欠ける純正律ではなく、聴覚上若干の不協和があるが自在な音楽表現を保証する平均律を選ぶのである。J・S・バッハの「平均律クラヴィーア集」はその転換点を刻印する作品だった。

以上の西欧独特の音組織は、他の様々な要素と連動していた。第一に挙げなければならないのは記譜法の成立である。西欧以外の伝統的音楽はいずれも精密な楽譜を発達させなかった。五線符に音楽を“書く”記譜法は、もっぱら“演奏する”活動だった音楽を「書く芸術」に変化させた。ここではじめて作曲家と演奏家が分離し、“音楽を書く人”としての「作曲家」が誕生することになる。第二に、楽器、特にピアノに至る鍵盤楽器の発達が関係する。鍵盤楽器が他の諸楽器と異なるのは調律を固定しなければならないことである。とりわけピアノは純正律から平均律への転換に大きな役割を果たした。

もちろん、宗教をはじめとするあらゆる文化現象がそうであるように、音楽現象も、非合理的で神秘的な性質を持つ。実際、いわゆる民族音楽として私たちが知っている多様な音楽のほとんどは、もともと非合理的で神秘的な性質を持っている。しかし、近代西欧音楽は、次第に非合理性・神秘性を溶解させ、独特の合理化を果たすのである。ウェーバーの歴史社会学は、その合理化が、ひとり音楽のみならずあらゆる社会領域において浸透していった壮大な潮流のひとつの支流であることを教えてくれる。

 

4.近代的聴衆の誕生〜オーディエンス論的視点〜

4.1.音楽の正しい聴き方

次に、近代西欧音楽の展開過程の内部における変化を見ていきたい。ウェーバーも見落としていた、音楽の受け手の態度についての問題が中心となる。

 私たちが「クラシック」として知っている近代西欧音楽は、かつて、どのように聴かれたのだろうか。現代なら、静まりかえった客席で古典的な名曲を一心に聴き入るというのが聴衆の“あるべき姿”とされている。このような禁欲的な聴き方を「集中的聴取」と呼び、そのような聴き方をする規範的かつ倫理的な聴衆のあり方を「近代的聴衆」と呼ぶ。この集中的聴取を理想的に実現するために、禁欲的な「演奏会のモラル」が作られ、ホールも外の音を完全にシャットアウトして作品理解と関係ない音をできるだけ排除する。そして演奏中に客席の照明を落とすのも、作品に直に向きあって集中できるようにする配慮である。こうして演奏会場は、隔離された特権的な空間になる。このような場で行われる聴取はきわめて個人的な体験である。これが「音楽の正しい聴き方」とされてきた。

 

4.2.十八世紀音楽の聴かれ方

 ところが、このような「集中的聴取」をおこなう「近代的聴衆」というあり方がヨーロッパで定着したのは、それほど古いことではなく、じつに十九世紀中頃の話だという。

では、それまではどうだったかというと、演奏会はまさに社交の場であって、マジメに音楽に耳を傾けようというのはごく少数派だった。ほとんどは楽しければそれでよいという人々だったという。マーラー研究家である渡辺裕の紹介するエピソードによると、歌詞が聞き取れないので歌詞を印刷したプログラムを配ったり、パイプの煙で指揮をするのが大変だったとか、気晴らしにトランプで遊んでいたとか、会場に犬を連れてきたり、目立とうとする女性たちがわざと遅れて入ってきたりしたという。

これは当時の音楽が基本的に貴族階級の内輪のパーティという性格をもっていたからである。「音楽とは一心に耳を傾けて鑑賞するものだ」という共通了解が成立するのは十九世紀になってからである。これは、音楽文化の担い手が貴族から市民層に移行したというのがその変化の大きな理由である。産業革命と市民革命を通じて富と権力をもった市民層が演奏会を支えるようになったため、演奏会は「社交の場」をやめて「純粋に音楽を聴きたい人の集まる場」になったのである。「芸術」という概念が成立したのも、ちょうどこのころである。それまで、絵画・演劇・音楽・文芸・建築という営みは「わざ」であり、それを司る人は「職人」だった。それが十八世紀後半から十九世紀にかけて「芸術」となり「芸術家」とみられるようになったのである。「独創性」とか「作品」とか「天才」といった常套句が使われるのも、このころからだという。こうした流れのなかで、バッハが敬虔な宗教音楽家としてまつりあげられ、スカトロジーの大好きなアマデウスが神童モーツァルトに変身し、ベートーベンが「苦悩の人」として神格化され伝説がうまれた。

こうしてみると、十九世紀はその前後と比べて極めて異質な世紀だったと言えるだろう。「近代」が、音楽に限らず経済や家族などあらゆる社会領域にわたって確固たる基盤をつくったのが、この世紀であることは、「脱近代(ポストモダン)」を迎えつつある現代にあって、留意しておいてよいことだろう。

 

5.複製技術時代

5.1.一九二〇年代

十九世紀的な「近代的聴衆」による「集中的聴取」という音楽との関わり方が崩れてくるのは二十世紀初頭、正確には一九二〇年代である。

では、この時代に何が起こったのか。

この時代は、自動車・飛行機・冷蔵庫・摩天楼など高度な科学技術が一斉に開花した時代である。そして音楽にとって重要なのは、中でも「複製技術」の出現である。具体的には、ラジオ放送の開始・蓄音器の発達(特に電気録音技術の完成)・自動ピアノ(再生ピアノ:演奏家の演奏をそのまま紙のロールに記録して再生するピアノ)の流行などが二〇年代一斉に花開く。写真・映画の隆盛もこのころからである。ヴァルター・ベンヤミンは、この時代から本格的に始まった新しい文化の時代を「複製技術時代」と呼んだ。

 

5.2.複製技術時代の芸術作品

ベンヤミンは、それまでの芸術体験が持っていた特性を「アウラ」(Aura)と呼んだ。「アウラ」とは「一回起性」または「一回性」という意味で、「〈いま〉〈ここ〉でしか体験できないこと」「オリジナルならではの何ものか」といったことである。彼は「アウラ」を「どんなに近距離にあっても近づくことのできないユニークな現象」と定義する。言い換えると、アウラは“独自性”と“距離”と“永続性”の三つの次元を持つ。例えば、ミロのヴィーナスのように、それは他にかえがたいものであるというのが“独自性”であり、それ故身近なものとはなり得ないというのが“距離”である。さらにそれは時間を超越して人びとの心をうつというのが“永続性”となる。

複製技術時代以前の音楽作品の場合、「アウラ」はどのようなものか。ザィデルフェルトはそれを次のように述べている。「かつて音楽の愛好家が好きな作品に接するチャンスは非常に少なかった。したがって、音楽を聴きに出かけるということは、気分を浮き浮きさせるような体験(独自性)だったに違いない。そしてその体験は、記憶のなかで、以前聴いた素晴らしい演奏と容易に結びつけられたことだろう(永続性)。さらに、その音楽を本当に知るようになる、つまり心に焼き付けておくための唯一の方法は、楽譜(大抵はピアノ用に編曲されていた)を購入して、あれこれピアノで弾いてみることだけであった(距離)。」

ところが、写真・映画・蓄音器などの複製技術は、絵画・演劇・演奏会の持っていた「アウラ」を完全に失わせた。だから、ベンヤミンは、複製技術時代における芸術の特徴は「アウラの喪失」であるとし、もはや芸術作品は礼拝のように鑑賞されないと論じた。音楽作品の場合、一九二三年に売り上げのピークを迎えるロール式の自動ピアノが、ひとつの複製技術時代の幕を開いた。一方、マイクロフォンによる電気録音技術が一九二四年にベル研究所によって開発され、翌年大手のレーベルからレコードが発売された。またラジオは一九二〇年に民間放送が始まり爆発的な人気を得たという。

このような複製技術時代の始まりとともに音楽の受け手も、もはや十九世紀的な「集中的聴取」をする「近代的聴衆」ではなくなった。音楽はもっと日常的なものになった。ベンヤミンのことばで言えば「散漫な受け手」として、音楽が消費されるようになったのである。

 

5.3.音楽の変容

こうした新しい聴き方に当時いち早く敏感に対応した作曲家が、最近ブームになったエリック・サティだった。サティの提唱した「家具の音楽」は、例えば「県知事の執務室の音楽」や「音のタイル張り舗道」といったタイトルが示すように、要するにコンサートホールで芸術作品として演奏される音楽ではなく、BGMとして日常の環境のなかで耳にする音楽である。しかも、今日のミニマル・ミュージックのように短いモチーフを何回も繰り返すというもので、まったく新しい聴取のあり方を先取りしたものだった。

また、複製メディアに適合した音楽形態として、このころ隆盛したのが、ブルースやデキシーランド・ジャズ、ビング・クロスビーなどのいわゆる「ポピュラー音楽」だった。ラジオとレコードによってポピュラー音楽は大衆の人気を博した。

これ以降、音楽の生産と消費の構図はがらっと変わることになり、私たちにとってなじみ深い身近な音楽が豊富に溢れる時代へと移行していくのである。

 

6.消費社会における音楽文化

 6.1.一九五〇年代以降の音楽状況〜ポピュラー音楽の登場〜

一九二〇年代における複製芸術の誕生を大きな転機に、音楽の聴かれ方・演奏され方が変わった。大枠としては、これが現代の通奏低音だと考えていいだろう。ただ、その後のめざましいテクノロジーの発達と社会意識の変化によって、音楽のあり方は幾度も変遷を重ねている。ここでは一九五〇年代以後のポピュラー音楽と社会の関連性について概観してみたい。

五〇年代以後の音楽状況を語る上で欠かせないファクターが二つある。それはテクノロジーの発達と若者文化(ユース・カルチャー)である。

一九二〇年代以降の複製技術時代の音楽にとって、技術的な側面は音楽の重要な構成要素になった。大きな変化としては、五〇年代のテープ録音技術とハイファイステレオ、八〇年代のヘッドフォンステレオとビデオとCDが画期的な変化を及ぼした。

テープ録音技術の発達は、長時間録音を可能にしただけでなく、演奏録音後に自由に切って貼り合わせることもできるようになり、多重録音(サウンド・オン・サウンド)やサウンドコラージュも可能にした。コンサートの音をオリジナルとする考え方はすでにストコフスキーによって破られてはいたが、この段階で、オリジナルとコピーの区別は完全に無意味になったと言ってもいいだろう。テープ操作による音楽創造は六〇年代中頃のビーチ・ボーイズのシングル「グッド・ヴァイブレーション」及びビートルズのLP「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」によって決定的な高みに到達し、ポピュラー音楽に定着することになる。ビートルズがコンサートをしないと宣言した前年の一九六五年、クラシック界でもピアニストのグレン・グールドが「コンサート・ドロップアウト」を宣言し、テープ編集を駆使したスタジオ録音を音楽活動の中心にした。

一九八〇年代には、「ウォークマン」とカーステレオの普及と高級化によって、移動しながら選択的に音楽を楽しむことが容易になった。他方で、環境音楽(アンビエント)やサウンドスケープ(音の風景)のように、聴くのでなく空間を演出するための音楽も一般的なものになった。CDによって、レコードとは比べ物にならないくらい手軽に扱えて、しかも高音質のメディアが登場し、またビデオやレーザーディスクによってヴィジュアルな楽しみ方ができるようになった。つまり聴取の選択肢が大きく広がったのである。

さらに、この時代には広告音楽とポピュラー音楽の結びつきも強まっていった。広告音楽の歴史は民間放送開始と共に始まるが、当初は広告音楽と流行歌は全く別の世界をつくっていた。それが次第に融合し、七〇年代半ばに「イメージソング」として結晶した。つまり「CMソングからイメージソングへ」という流れである。(イメージソングとは「ある企業や商品のコンセプトを表現しているが、企業名や商品名が歌詞の中に入っていない曲で、広告音楽として使用され、かつレコードとして市販されている曲」のことである。)

6.2.若者文化の変遷

 テクノロジーと並んで音楽状況を変えた大きな要素は若者文化(ユース・カルチャー)である。とりわけ一九六〇年代の「対抗文化(カウンター・カルチャー)の爆発」が今日の音楽文化の基盤を作ったものとして重要である。

六〇年代後半は世界的なムーブメントとして大学紛争が多くの大学を揺るがした時代として記憶されているが、従来の中心文化に対抗する文化が異議申し立てし自己主張した重要な転換期だったと言えるだろう。アメリカに即して言えば、男性中心文化に対する女性解放運動、白人中心文化に対する黒人の公民権運動、アメリカ帝国主義政策に対するベトナム戦争反対運動などがある。そして若者文化が大人の中心文化に対して自己主張(反抗)するのもこの時期である。この辺りから、若者の表現手段は、文学から音楽にシフトを変えると共に、当初「反抗文化」として自己主張していた若者文化そのものが、次第に消費社会の中心的位置に移っていく。そして「音楽化社会」とも呼ぶべき状況が成立することになる。音楽化する社会の基本条件として吉井篤子(「企業の文化戦略としての音楽」著者)は「“先端技術”と“コマーシャリズム”と“感性”」の三つを挙げている。三つの要素がいわば三位一体となって今日の音楽化社会を構成しているということだ。

音楽文化の動きが「音楽の論理」なり「音楽の生理」によって動くのでなく、それ以外の外在的な要素によって動くという八〇年代からの現代的傾向は、九〇年代になっても続いている。むしろ加速していると言った方がいいのかもしれない。

高度なマーケティング技術に基づいて企画され、テレビを主軸にキャンペーンされた音楽。このタイアップ依存は、音楽番組ですらなくテレビドラマという非音楽メディアが引っ張る形になっている。それにしても、映像主体のキャンペーンがこれだけ功を奏するとなると、ターゲットにされている今の若者が「本当に音楽が好きなのか」と疑問をもたざるをえない(私は本当に好きだと言えるが)。ファッションの一部として、つまり「仲間」を自分につなぎ止める手段として音楽が利用されているとも考えられるのではないだろうか。しかし、それを批判的に見る考え方自体もまた、音楽に対する態度の一つにしかすぎないのであろう。今世紀初頭、ウェーバーの指摘した合理化の潮流は非合理的な感性を突出させながら、なおも進展しているように思われる。

 

7.「ポピュラー音楽」

これまで、「近代」という歴史的視野から徐々に焦点を絞って音楽のあり方について考察してきたが、最後に、視点を変えて民族音楽や芸術音楽との対比を通してポピュラー音楽の位置付けやその関係について考察してみたい。

7.1.ポピュラー音楽の位置付け     

単にポピュラー音楽といっても、その様相は多岐に渡るため、その単語の意味は非常に曖昧である。その為、「民俗」音楽、「芸術」音楽、「大衆(ポピュラー)」音楽から成る公理上の三角形を想定することによって、「ポピュラー音楽」の位置付けをしてみたいと思う。そうすることによってポピュラー音楽への視界が少しでも整理できるからだ。

まず、「制作と発信」について注目する。民俗音楽が主に素人によって行われるのに対し、芸術音楽とポピュラー音楽は主に玄人によって行われている。この要領で、音楽に内在する要素をこの三つの音楽に当てはめていくと以下のようになる。

 

大量配給・・・・・・・・・・・・・・・・通例――ポピュラー音楽

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・異例――民俗音楽、芸術音楽

主な保存と配給の様式・・・・・・・・・・口伝え――民俗音楽

         ・・・・・・・・・・・記譜――芸術音楽

         ・・・・・・・・・・・録音――ポピュラー音楽

当の音楽範疇が主に生じる社会の種類・・・遊牧か農耕――民俗音楽

                ・・・・農耕か工業――芸術音楽

                ・・・・工業――ポピュラー音楽

当の音楽の制作と配給のための20世紀の主な出資様式

                ・・・・貨幣経済とは無関係――民俗音楽

                ・・・・公共出資――芸術音楽

                ・・・・自由事業――ポピュラー音楽

理論と美学・・・・・・・・・・・・・・・特別――民俗音楽、ポピュラー音楽

    ・・・・・・・・・・・・・・・・普通――芸術音楽

作者・・・・・・・・・・・・・・・・・・不詳――民俗音楽

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・作者名あり――芸術音楽、ポピュラー音楽

 

結局、ポピュラー音楽は芸術音楽とは違って、大規模な、社会文化的に同質的な場合が多い聴取集団に大量分配されるためのものとして表され、記譜されない形で保存され、配給され、その配給はその音楽を商品にする、工業社会の貨幣経済においてのみ可能であり、また、できるだけ多数の人にできるだけ多量に売れることを理想とする「自由」企業の法則に支配されている資本主義社会において可能である、という位置付けができるのではないだろうか。

 7.2.ポピュラー音楽と芸術音楽、民俗音楽の境界

 前章において、3つの音楽をそれぞれ位置付けたわけだが、その音楽を分析する際、3つを分けて考えなくてはならないのだろうか。そうではないと思う。少なくともポピュラー音楽が登場するまでは芸術音楽と民俗音楽は分けて別の方法論で分析されていた。

しかし、ポピュラー音楽がそれを不可能にしてしまった。ポピュラー音楽は時代が流れるにつれ、その中に包含する要素が膨張しつづけ、芸術音楽や民俗音楽の壁さえも破ってしまったからである。その傾向は六〇年代後半から七〇年代前半のプログレッシブロックからRIORock In Opposition)、昨今の実験・前衛音楽に顕著である。プログレッシブロックでは、ピンクフロイドやソフトマシーンなどがクラシックを始めとする芸術音楽やジャズの領域へ踏み込み、RIOではフレッド・フリスが世界の民俗音楽や現代音楽を取り入れ、実験・前衛音楽ではどのジャンルにも分類できないノイズやサウンドアートといったものが生み出されている。様々な要素を抱え込み、錯綜を極めている現代の音楽の状況においては、ジャンルによって方法論を使い分けることなど無理なのではないだろうか。かなり困難を極めると思うが、どんな音もひとつの音楽だという大きな視点で音楽を分析する視点が必要になってくるのではないだろうか。

 

<参考文献>北川純子「音のうち・そと」

      マックス・ウェーバー「音楽社会学」

      吉井篤子「企業の文化戦略としての音楽」

      ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」

      田村和喜男・鳴海史夫「音楽史17の視座」

      三井徹「ポピュラー音楽の研究」

      福島恵一 他「アヴァン・ミュージック・ガイド」

      大鷹俊一 他「ヤングパーソンズガイドトゥプログレッシブロック」