宗教と社会‐ユダヤ教とイスラエル‐
田賀 ひかる
私は特定の宗教を信じていない。しかし世界の多くの人がなにかしらの宗教を信じ
ていて社会秩序そのものが宗教によって形成されている国もある。私がその人たちを
理解するためには、それぞれの宗教を知ることが大事だと思う。
しかし、宗教というのは信仰なので信仰を持たない私はどこまで知ることが可能で、
その人たちのことをどこまで理解できるのかはわからない。けれどもこのレポートを
機会に少しでも私の知らない世界へ近付けたらいいと思う。
<イスラエルの誕生>
1947年11月29日に国連総会で「パレスチナ分割決議」の採択が行われた。こ
れはイギリスの委任統治領パレスチナを分割し、ユダヤ人とアラブ人の2つの国家を
樹立すべきであるというものだった。アラブと親アラブのアジア・アフリカは反対し
たが、1948年5月14日イスラエルが建国された。パレスチナ全土の57%をユ
ダヤ人の国として認めたものであった。 イスラエル建国はユダヤ人が離散(ディア
スポラ)の民として約2000年間願い続けてきたものだった。しかしこの建国は宗
教的な意味合いの薄いシオニズムという運動によってもたらされた。
シオニズムという言葉は紀元前1250年ごろに預言者モーセが神と契約を交わし
たという(「神の十戒」)シナイ山を語源とし、1893年につくられた。シオニズム
の始まりは1896年テオドル・ヘルツルの『ユダヤ人国家』出版時、又は第1回シ
オニスト会議が開かれた1897年といえる。
シオニズムには「宗教的シオニズム」「文化的シオニズム」「政治的シオニズム」…
とさまざまな種類があり、イスラエルが建国に至るまでには多種多様なものが生まれ
そして作用していった。だからシオニズムを1つの動きとして理解するわけにはいか
ないが、建国にまで達したものを考えたとき、反セム主義からの逃避を原動力とした
移民運動、さらに「ユダヤ教徒」集団を「ユダヤ人」・「ユダヤ民族」=政治的共同体
に転換して土地の確保とその土地への集団移民を目指したものだと言うことが出来る
と思う。そしてこれらの特徴を考えるときその運動の根底にはヨーロッパ的な考え方
(帝国主義的思考)があるので、アジア・アフリカのナショナリズムとは相容れない
ところがある(ジャンセン著、奈良本英佑訳『シオニズム』)。
シオニズムが非宗教的な運動だということはその主要な指導者たちがユダヤ教を信
仰していなかったという事をみればわかる。例えばテオドル・ヘルツルは自分が「ユ
ダヤ人であることと、信仰とは何のかかわりもない。」さらにユダヤ人国家の中で宗教
が占める位置について「それぞれの人間が、それぞれの方法で、救いを求めればよい。
………。」(『シオニズム』)と言っている。こうしてイスラエルは政教分離という近代
国家の原則を採用する世俗国家として誕生した。
<イスラエルの問題点>
ユダヤ人は追放され離散の民となってから差別と迫害の生活を経験してきた。それ
はそれぞれの国でマジョリティとならずいつでもマイノリティとして生きていかなけ
ればならなかったことも原因の1つであると思う。この点でユダヤ人は民族として政
冶的に自分たちの国を持つ必要があったのだ。
しかし非宗教的な意味合いで建国されたにもかかわらずイスラエルにおいてユダヤ
教は「市民宗教」として大いに活用された。それはユダヤ人に国民意識を与え国家へ
の忠誠心を引き出すためであった。例えば国家のシンボルには7つの枝に分かれた「
メノラー」と呼ばれる燭台が使われている。「メノラー」は古代エルサレムのユダヤ教
神殿の中でもっとも神聖な場所である「契約の箱」を置いていた部屋を照らしていた
ものだ。その他に、神はアブラハムの子孫(ユダヤ人)にエレツ・イスラエル(イス
ラエルの地=パレスチナ)を与えると約束したのでそこにユダヤ人国家を建設し、さ
らに支配地域を拡大することは表面的には世俗的な行為と見えてもその背後には神の
聖なる意思があるのだという「メシア思想」もあった。
だがイスラエルは旧約聖書に基づく神聖国家ではない。だから超正統派(ハレディ
−ム=「敬虔な人々」の意)は世俗的な寄せ集めに過ぎないと徹底的に批判し、イス
ラエル国家を認めていない。超正統派は規模的には小さいが原理主義的傾向が極めて
強くユダヤ教における最右翼といってもいいグループで、救世主を待望しながら神聖
国家の再建を目指している。
このイスラエル政府とハレディーム等の宗教グループ間の問題を信教形態の問題と
して考えると、その国家が神聖国家であれば当然集団信教となる。しかし実際のイス
ラエルは今まで述べてきたように非宗教的である。しかし超正統派は社会全体での遵
守をあくまでも主張している。そこで両者の妥協案として「ステイタス・クオ」とい
う合意事項がある。
「ステイタス・クオ」の内容は、@シャバト(ユダヤ教の安息日)は国家的な安息
の日として遵守する A軍など政府監督下にあるすべての食堂ではコシェル(ユダヤ
教の食餌に則した食べ物)を出す B宗教裁判所は結婚と離婚手続きに関して排他的
な権限を持つ C宗教界による自主的な教育機関は政府の監督下に入らない の4点
で建国前からの留意点であった社会と宗教のかかわりについて政府から宗教界に約束
された。
ユダヤ教には超正統派以外に正統派と改革派と保守派がある。正統派は「トーラー」
(律法。歴史を通して神から人に示された神聖法典。旧約聖書の一部をなす。)を厳格
に遵守し、ユダヤ教の伝統を忠実に継承していてユダヤ教では最多の信者を有してい
る。 改革派は「トーラー」に関してかなり自由に解釈し、時代の流れに合わない土
曜の安息日や食事の戒律を拒否している。そのため正統派からはその権威を認められ
ていない。 保守派は正統派と改革派の中間に位置している。 このように同じユダ
ヤ教といっても派によって宗教的解釈が異なるので、1つの国家に収まっているとさ
まざまな問題が発生してくるのも無理がない。
その他に、希望としての「約束の地」であったイスラエルが現実に存在する国家と
なったことへの戸惑いもある。それは信者の心の問題でもあるし、政治的な領域の問
題でもある。特に後者は周辺のアラブ国家との関係上深刻な問題である。
中東戦争は第1次から第4次まで戦われた。パレスチナ戦争(第1次)は1947
年11月29日に国連総会でパレスチナ分割決議が採択されたことが契機となり19
48年5月14日のイスラエル独立宣言の日に開始され、1949年2月24日まで
続いた。この戦争でアラブは敗北しイスラエルはパレスチナ全土の80%を占領した。
そのあともスエズ戦争、6日戦争、10月戦争が勃発。6日戦争でイスラエルは当初
の4倍に領土を拡大、10月戦争では1979年3月26日にエジプト・イスラエル
間の平和条約が調印され2カ国の戦争状態は終局を迎えた。しかし、現在でもアラブ
諸国とイスラエルの間に完全な落ち着きはない。
<現在の多様な価値観>
現在は世俗化が進み多様な価値観が存在するようになった。例えば国民の半数以上
は冠婚葬祭のとき以外は宗教とほとんど関係のない生活を送っているとか、1970
年代頃から盛んになった市民権運動やファミニズムなどによって個人の権利・自由が
より重視され女性の意識や地位も向上したとか、社会と軍の関係の変化などがある。
社会と軍の関係の変化とは、イスラエル軍というのは職業軍人・徴集兵・予備役(
職業軍人にならなかった45歳ぐらいまでの男性のこと。年に40日から50日の兵
役義務がある。)の3つの要素から構成されているので「国民軍」とか「人民軍」など
と呼ばれていたが、それがそうではなくなってきたという事。兵役を逃れようとする
若者がわずかながら増えてきたり、以前であれば兵役終了後に軍に残留することが社
会的エリートへの道であったのに今ではビジネス界に進むなど多くの選択肢があるの
で若者が軍に固執しなくなってきたりしていることなどである。実際徴兵対象者の1
7%(5人か6人に1人)が兵役に就いていない。これは、移民の増加・軍事技術や
兵器のハイテク化・軍事費の削減傾向などで兵士数を集めることが今までのようにそ
れほど必要ではなくなったという理由もある。ただ、軍はイスラエルにおいて今まで
のような中心的な存在ではなくなってきている。
しかし反対に1970年代以降からは世界的な規模での神への回帰現象や大イスラ
エル主義の台頭もあった。神への回帰現象はイスラエルでは第3次中東戦争の勝利を
契機とするメシア思想とテシュバ(悔悛)運動がある。テシュバ(悔悛)運動とはユ
ダヤ教の伝統に立ち返り戒律を遵守する動きで、アラブ諸国との問題などに解決策を
見出せない政府に対する失望などが引き起こした。このようなハレディーム化は現在
でも拡がりを見せている。
<ユダヤ人とは>
現在のユダヤ人はアシュケナジー系とスファラディー系を二大系統としているが長
いディアスポラ生活とともに各地へ散らばっていったので、アフリカ系・インド系・
中国系なども少数ながら存在する。それゆえユダヤ人は人種的にはばらばらな状態で
あり「ユダヤ人種」というものは存在しない。
そういった意味で、解釈の仕方などにはたくさんの違いがあるがやはり共通してい
るのがユダヤ教である。そんなユダヤ教の考え方の1つに「選民思想」がある。
「選民思想」とはユダヤ教の特殊性−救済には神との契約と「トーラー」の遵守が
絶対の条件−から生まれ迫害の歴史の中で発展したもので、自らこそ古代神が人と契
約を交わすときに唯一選ばれた民族である「神より選ばれた民」であるという意識。
そのためこの思想は他民族との軋轢を生んできた。
もう1つ、ユダヤ教は「目には目を、歯には歯を」を実践する同害同復の宗教だと
よく言われている。実際、イスラエルの防衛戦略における重要な柱の1つに「報復」
が挙げられる(立山良司『揺れるユダヤ人国家』)。このことは次の預言によく表され
ている。
「兄弟が不幸に見舞われる日に、お前は眺めていてはならない。ユダの人々の滅び
の日に、お前は喜んではならない。その悩みの日に、お前は大きな口を利いてはなら
ない。」そして、兄弟の不幸を喜び侵略に手を貸した者は神によって徹底的に裁かれる
と断言する。「ヤコブの家は火となり、ヨセフの家は炎となり、エサウの家はわらとなる。
火と炎はわらに燃え移り、これを焼き尽くす。エサウの家には、生き残る者がいなく
なる。」(『オハデヤ書』)
しかしこのような同害同復は過激な主張に思えるが、過剰報復ではないところに意
味があるとされている。
ユダヤ人の歴史は迫害の歴史とも言われるが、ユダヤ人を差別し迫害し反ユダヤ的
感情を人々の心理に刷り込んできたのはキリスト教世界である。なぜユダヤ人がその
ようなことをされてきたのかというと、キリスト教側がユダヤ人はイエス・キリスト
を救世主と認めずに殺した永遠に呪われた民族だと考えたことに起因する。しかしこ
のような神学上の位置付けでは終わらず社会生活の中でもユダヤ人の法律的権利の剥
奪や職業制限が行われた。
今回はじめてユダヤ教とイスラエルについて調べてみて、この国は多くの難題を抱
えていると思った。自国内での宗教と政治体制とのかかわり方もそうであるし、建国
のいきさつ、そして現在の置かれた状況もそうである。
建国については、ユダヤ人が自らの国を持つことが必要であったことを否定するこ
とは出来ないが、彼らが求めた土地にはすでに住んでいる人たちがいた。聖書上の約
束と現実との間にギャップがあったにもかかわらずそこに移民し、最終的に国家をつ
くってしまったことはどう考えられるべきか。 そこにはヨーロッパとアジアの問題
の構図が見え隠れするし、世界が力のあるものによって構成されている様子もうかが
われる。周辺のアラブ諸国との関係はイスラエルにとっても国際社会にとっても考慮
すべき課題だ。又翻って、ユダヤ人迫害の歴史をもっと知る必要もある。
今回のテーマは調べるほどに奥が深く、実際からしてみればとても足りないレポー
トとなってしまったと思う。しかしこれが今の私が出来るものなので、今後は興味を
覚える分野から例えば、イスラエルとアメリカとの関係やイスラム教などから又勉強
をしていきたいと思っている。
<参考図書>
・ 『ユダヤ教の本』 学研 1995年
・ 『揺れるユダヤ人国家』 文藝春秋 2000年
・ 『アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図』 講談社現代新書 1992年
・ 『国際情勢早わかり‘97』 PHP研究所
・ 『シオニズム』 パレスチナ選書
・ 『中東戦争全史』 原書房
・ 大辞林など