階級社会イギリスの現在
細井 広記
イギリスというと階級制度が思いつくが、果たしてそれは現在どのようなかたちで存在しているのか、調査し、考察を加えた。
T 階級の誕生と発展
まず、現在に至るまでの階級の歴史について見ていく。
研究者出版の『イギリスの生活と文化事典』(安東伸介他編、河合秀和他著1982(以下、河合、河合他と略記))を引用しながら話を進める。
(1) 中流階級の誕生
「イギリス産業革命の中から階級が誕生するのは18世紀後半のことであった。この時期のイギリスには、前世紀の末、名誉革命によって成立した政治体制が確固として存在していた。そこでは国家の政治的主権は、(中略)国王と議会に担われていると曖昧に定義されていたが、権力の実質がこの議会の上下両院を支配している貴族的寡頭制の手中にあることは疑いようのない事実だった。」(河合p801,802)
このような安定した政治体制から、階級は生まれた。
「階級の誕生は、少なくとも外見上はこの政治体制にいささかの変化も引き起こさなかった。むしろ逆に、政治的支配が安定していたために、新しい階級的関係は十分に社会的に広がっていくのを許されたのである。王制と貴族生徒に結びついた古くからの支配層は上流階級と呼ばれるようになり、新しい社会の支配的階級、つまり工業ブルジョワジーは、この上流階級の下に位置する中流階級(middle class)となった。中産階級は、経済的には大きな実力を有していたにもかかわらず、みずからの経済活動が許されているかぎりは政治的支配を伝統的支配層に委ねて満足し、みずからを中流と意識するようになった。」(河合p802)
この中流階級の意識が、階級成立の大きな要因だったと思う。もし、中流階級が上流階級と争っていたら、上流階級は負けて、現在まで残らなかったかもしれない。もっとも、中流階級が逆らえないぐらい、支配層は強かったのだろうが。
次に、選挙権の拡張が進行した。
「1832年、都市ブルジョワジーは選挙法改革によって選挙権、被選挙権を獲得した。1867年と84年の選挙法改革は、選挙権をそれぞれ都市プロレタリアートと農村プロレタリアートにまで拡大する。そして第一次大戦後の1918年には男子普通選挙制と一部の婦人への選挙権拡張が、そして1928年には男女平等の参政権が実現されることになった。」(河合p802)
以上をまとめると次のようになる。
「そこ(イギリス*筆者註)では、17世紀に生まれた政治体制の中に、18世紀の産業革命が階級を生み出し、そして19世紀の選挙権拡張を通じて、階級が国民社会に編成されることになった。」(河合p803)
ここからさらに、イギリスの階級制度の独自性と強靭さが出てくる理由は、以下の通りだ。
「イギリスの安定した政治体制のもと、階級は経済の領域を超えていわば横に広がると同時に、時間的な縦の系列においては、民主革命や国家の軍事的敗北によって中断されることもなく、あるいは植民地定刻を喪失したことによっても大きな変動を受けることなく、歴史の中に強い継続性を保つことになった。」(河合p803,804)
(2)労働者の団結と敵対意識
産業革命以前の労働者の家庭は、農村共同体を前提として成立するものであった。ところが、産業革命によって人々の生活の場が農村から都市へと移ると、共同体という古い社会の絆は絶ち切られることになった。それに平行して「労働者の中に新しい絆、「ユニオン」(union)を求める動きが進んでいた。(中略)労働者階級という言葉と、それに対応する意識と制度は、このユニオンを焦点として生まれるのである。」(河合p814)
都市労働者の賃金は乏しかったために、彼らは、家族全員で働かなければならなかった.。すると、労働力は過剰になってしまうので、「個々の労働者は職を求めて競争し、その競争は互いに賃金を引き下げ合う方向に作用する」(河合p814)。このため、「労働者は、労働市場で弱い立場に立たざるを得な」(河合p815)かった。「労働者間の自由競争を停止し」(河合p814)、この弱い立場を挽回しようというのが、「ユニオンの基本的な目的であった。」(河合p815)
「労働者が個々の分散した個人としてではなく団体として資本家と交渉する団体交渉権を獲得し、正当な争議手段としてストライキを認められ、ストライキ破りのために連れ込まれる労働者を阻止するピケットが合法化されるという1世紀以上に及ぶ過程を経て、ユニオンは労働組合として制度化されることになった。」(河合p815)
そして、「組合の闘争の形態もまた多様であったが、(中略)これもまた制度化された」。(河合p815)
このような労働者の結束に対して、「中流階級の親方たちも共謀」(河合p815)した。
こうして、「敵対的な集団として階級が意識される」(河合p815)ようになった。
この影響は、今でも根強く残る。二つの階級は、憎み合い、遠ざけあっている。
だから中流階級は上昇志向が強く、労働者階級は成り上がろうとしないのだろう。
U 現代イギリスにおける階級
まず、イギリスにおける階級とは何かということについて述べておきたい。階級は、イギリス以外の国では、まず経済的な区分として捉えられている。しかしイギリスでは、「階級は単なる経済的観点からする人びとの分類としてだけでなく、生活のあらゆる領域において人びとを区別しうる観念」(河合他、p801)である。
イギリスの階級の分類方法については、『変わるイギリス変わらないイギリス』(石川謙次郎、日本放送出版協会、1993(以下、石川と略記))という本に簡潔に書かれている。
「古いものでは、十九世紀のイギリスの批評家マシュー・アーノルドが発表した上流、中流、下層の三分割方式がある。(中略)社会学者の間では、その後、中流階級が上層、中層、下層の三つに分けられ、下層階級ないし「庶民」は労働者階級と呼ばれるようになった。以来、この五分割方式が、イギリスの階級制度を考える際によく使われるようになっている。」(石川、p41)
当レポートでもこの五分割方式で考えていくことにする。
(1) 職業
職業については、「イギリスの階級の指標として人びとに最も重要視されているのは職業」(河合他、p824)である。イギリスの戸籍本署が実施している国勢調査の「階級の分類」というものがある。この方式では、上流階級の貴族を除いて、社会階級を世帯主の職業によって次の七つに分類する。
社会階級T 専門職
同 U 中間職
同 VA 非筋肉労働の熟練職
同 VB 筋肉労働の熟練職
同 W 半熟練職
同 X 非熟練職
経済活動にたずさわっていない者
(石川p41)
少し古い資料になるが、81年の調査結果を挙げていこう。
[社会階級T]…法廷弁護士、判事、医師、大学教授・研究者、建築家。
[社会階級U]…国会議員、事業経営者、会社重役、農場主、新聞記者、教師、警部。
[社会階級VA]…不動産業者_製図工、写真家、銀行事務員、秘書、警官。
[社会階級VB]…電気技師、バス運転手、コック、大工、家具職人、配管工。
[社会階級W]…農場労働者、救急隊員、郵便配達人、ウェイター、漁師
[社会階級X]…ビル掃除人、土木作業員、窓掃除人、日雇い労働者
以上のような分類を、前に挙げた五つの分類に当てはめると、上層中流階級がT、中層中流階級がU、下層中流階級がVA、労働者階級がVB以下というところだろう。とはいえ、中流階級の3つの分類は、職業だけでは分かりにくい。それについては、教育、文化など他の点を考慮に入れると分かりやすいようだ。
(2)教育
次に、「階級の第二の指標は教育である。」(河合p824)
始めに、イギリスの教育制度について概説しておく。イギリスの義務教育は、5歳から16歳までの11年間である。義務教育が終わると、GCSEという全国共通のテストがあり、結果は、得点によってAからGまでのグレード及びU(採点不能)がつけられる。また、GCSEが終了すると、進学を希望する生徒は、二年間シックスフォームと呼ばれるコースに通い、大学進学に必要なAレベルの試験を受ける。私立学校では、パブリックスクールと呼ばれる13歳から18歳までの学校がある。そこに通う生徒も、GCSE、Aレベルといった重要なテストは、公立校に通う生徒と同じように受ける。
現在では職業が直接、学歴によって決定される程度が高くなっているので、教育が重要視されるのは当然である。前述の職業による七分類を見ても、ランクの高い職業のほうが、より高度な知的技能を身に付けている、つまり、高い学歴を持っているということだ。
ここまでは日本の教育制度と類似しているが、大きく異なるのは、教育による階層移動が小さいということだ。子供の学歴が父親の階級によって決まり、階級が再生産されるのである。
イギリスの教育制度では、大学に行くためには、それ程金はかからない。しかし、パブリックスクールに行くには、多額の寄付金と授業料が必要となる。そして、大学に進学するのは、パブリックスクールに入っていなければ難しい。このため、大学やパブリックスクールは、金のある上流階級や上層中層階級のためのものになっている。
実際、こんな数字が出ている。
「八八年のイギリスの大学進学者七万九千人のうち、69.1%はいまだに大学教授、弁護士、医師、科学者、イギリス国教会の教区牧師、国会議員、大企業の重役、管理職など、中層中流階級以上といわれる職業の家庭の子弟で占められている。これに対して、銀行事務員、レストラン経営者、コックなどの熟練職の子供は約23%、農場労働者、ビール醸造人など半熟練職の子供は約6%となっており、土木作業員、港湾労働者など非熟練職の親を持つ家庭の出身者は1%をわずかに上まわっているにすぎない。」
(石川、p273、274 (一部、漢数字をアラビア数字に改変))*ここに出てくる階級区分は(1)職業を参照
また、中流階級は向上心旺盛だが、労働者階級はそれほど高学歴を望まない。ここにも教育による再生産が生まれる原因がある。
(3)生活様式、文化
階級の指標として、第3には、住居、英語の話し方、日常の作法などの生活様式」(河合他、p824)が来る。娯楽の種類などといった文化的な差異も、これに含まれるだろう。
@住居
最初に住居について述べる。上流階級と中流階級の間で見てみると、カーペットひき方やソファの材質、暖炉と電気ストーブの違い(前者が階級的に上位)など、様々である。それらの差異はなくなりつつあるというが、決定的な違いは、上流階級の住まいは何年にもわたって受け継がれてきたものであるのに対し、中流階級以下の住まいは自分の代か、せいぜい親の代に購入した場合がほとんどであるという。
中流階級以下の住まいは高価な順から、デタッチドハウス、セミデタッチドハウス、テラスハウス、フラットである。
中流階級の人々は、まず自分の家を持つことを大きな夢にしている。さらに、住居と行ってもフラットやテラスハウスではなく、デタッチドハウスに憧れる。また、同じ一軒屋でも、できるだけ古い建物を好む。少しでも上流階級に近い位置を確保したい、と考えるからである。
それぞれの家の特徴は、『変わるイギリス変わらないイギリス』に分かりやすく書かれている。
まず、デタッチドハウスから、
「デタッチドハウスは、専用の敷地に独立して建っている一戸建ての家屋をいい、(中略)通常は敷地がかなり広い。寝室は少なくとも四つ、部屋数は合わせて十以上という規模のものが多い。」(石川、p150)
しかし、これ程大きいデタッチドハウスを購入する事は、ほとんど不可能である。入手可能なものはといえば、新しいものばかりであり、それは中層中流階級以上の人々からは軽蔑されるようなものである。
そのため、中流階級の人たちは、セミデタッチドハウスに住むようだ。セミデタッチドハウスは、「一つの建物で二軒が隣接している住宅」(石川、p151)であり、デタッチドハウスと比べて安価である。
テラスハウスは、「炭鉱、工場などの労働者用の長屋」(石川、p150)であり、棟続きになっているものが多い。フラットは、日本でいうマンションかアパートであるが、「デタッチドハウス(中略)を各階ごとに区切り、それぞれにキッチン、バス、トイレ単独の住宅としたもの」(石川、p136)も多くある。
他にも、下層中層中流階級は窓にカーテンをし、覗かれないようにするが、上層中流階級、上流階級はカーテンをしないなどという事もある。
A言葉
次に英語の話し方についてだが、この場合は、大きく二つに分かれる。発音方法の違いと、同じ物事に対する表現の仕方の違いである。英語の訛りは地域によって大きく変化する。この階級差の指標は、教育によりこの訛りを直して、標準英語を使うかどうかということである。ここでいう標準英語について説明しておく。
伝統的にイギリスは、階級、地域によって、話されている英語に違いがある。現代のイギリスの標準英語は、BBC英語といわれるが、イングランド南東部の上層中流階級の人々が使っている「クイーンズ・イングリッシュ」に近いものである。名門パブリックスクールや、オックスブリッジなどでは、BBC英語や「クイーンズ・イングリッシュ」が教育される。この標準英語で話さず、方言を話す人は、社会的に低い評価が下される。そのため、「下層中階級出の人が上流階級に上りつめるため、懸命になってアクセント、イントネーションの矯正に努めたといった話が少なくない」(石川、p118)そうだ。
B文化
文化についても、階級の違いはあらわれている。『イギリス文化と国際社会』という本から見ていく。
「イギリスの中産階級の文化は、クラシック音楽、バレー、などなどのいわばハイ・カルチャーであるのに対して、労働者階級の文化はかつてのミュージック・ホール(ミュージカル、寸劇、漫才などを統合したような総合的な演芸)に象徴されるような、ちょっと下品ですが、観客との直接的なやりとりが可能な大衆文化でした。面白いことに、ハイ・カルチャーの方はジャンルが固定しているのに対して、大衆文化の方は時代とともに常に新しいジャンルが形成されていきます。ついでに言いますと、中産階級と労働者階級の文化の違いはスポーツにも反映されていて、前者がたとえばクリケットを好めば、後者は圧倒的にフットボール(サッカー)を好むというように、この階級間の対照というか対立は際限なく続き、中産階級がシェリーを飲めば、労働者階級はビールを飲むといったように、ことごとく違ってきます。」
(小野修編、田口哲也他著『イギリス文化と国際社会』1996、明石書店p197)
階級による文化的な隔たりは大きいようだ。
(4)経済状態
第四の指標は、収入、資産などの経済状態である。中央統計局の『社会の趨勢22』という統計によると、1989年の最富裕上位1%が保有する資産(住宅資産の価値を含む市場性ある富)の全体に占める比率は18%、最富裕上位10%では53%と過半数である。それに比べて、最貧50%の保有する資産は全体の6%である。さらに、この数字は変わっていないどころか、むしろ差は開いている。さらに現在に近づいても、1998年に出版された『イギリス人はおかしい』(高尾慶子、文芸春秋)という本では、「これほどの貧富の差のある国は、世界で英国とインドぐらいだろう。」と書かれている。イギリスの貧富の差は、まだ大きいようだ。
しかし、それ程激しい貧富の差にもかかわらず、なぜ経済状態が四番目の指標なのか。様々な理由が考えられる。第1部で述べたように、中流階級は、経済活動の自由が保証されている限り、政治的な支配を上流階級に任せていた。これは当時の中流階級が、自分たちの持つ経済力を軽視し、階急上昇の手段にしなかったことに他ならない。(1)で説明した職業による階級の分類にしても、上位に分類される職業が、必ずしも収入の良い職業ではない。他にも理由は色々ありそうだ。この問題は、イギリスの階級を考えるキーポイントであると思う。
(5)家系
第五の指標は家系である。少々意外な気がするが、現在では上流階級がほぼ消滅してしまったということが、大きい理由だろう。上流階級がいなくなれば当然、中流階級、労働者階級の間の差異だが、家系に関しては、それ程差はない。