「マフィア、そして、ヤクザ」

 

〜概念のコントラスト〜

 

松本邦剛

 

 

 

《はじめに》

 私は前期の課題図書として、「新宿・歌舞伎町 マフィアの住む街」を選択し、歌舞伎町という小さな国を舞台として起こる経済の動向、人間模様などについて調べた。東南アジアのマフィアにスポットを当て、彼らの生い立ち、構成、動向、ルールなど、古い歴史から現状までを知ることができた。特に、中国の裏社会を介しての日本への密入国の話しなどは、ただ愕然とする内容であった。          

一方夏期では、前期の課題図書の中でも登場した、日本が誇るヤクザにスポットを当て、「ヤクザの世界について」と題し、ヤクザのしきたり、生活、宿命、などを中心に調べた。過去のヤクザと現在のヤクザを比較し、法律と関連づけながら、一般の人の考え方とは違った視点で理解を試みた。悪いイメージだけが先行している中で、彼らのことを内側から理解しようとすることは、自分にとっても新鮮であった。

 そして今回の最終弁論に至るわけだが、タイトルはあまりに明白であり、無論、動機についても明確である。ただ純粋に、この社会においては一般的に裏の部分に位置される、その二つの大きな存在を比較しようということである。しかし、ただ同じ項目を照合していくだけではつまらないので、前期、夏期共に私がうまく理解できず、説明できなかった内容を中心に、論を展開していきたいと思う。マフィアに関しては、マフィアというものの原点にさかのぼり、シチリアのマフィアに焦点を絞ることにした。ヤクザに関しては、昭和のヤクザ時代に照準をあわせてタイムスリップし、現代日本でのヤクザの中心である山口組の抗争の年表と共に現代まで戻っていくつもりである。

 

 

T.≪マフィアの原型≫

 マフィアという言葉は、政治と社会と犯罪の病理的な関係を意味しており、1860年以降に頻繁に用いられるようになってきた。今日の社会では非常に病理的に見えるような諸関係が、その時代ではごく普通の正常な状態であったからである。マフィアという言葉は、病理的な状況が存在し、その非合法な性質を規定するために特別な言葉を必要とするような社会においてこそ、初めて登場するのである。

 マフィアの原型を探求すると、19世紀前半のイタリア統一直前の状況までさかのぼる。シチリアでは1812年に、封建的諸特権を廃止する勅令が出された。この勅令こそ、「暴力の民主化」の過程が進行する上で決定的な役割を果たしている。この勅令以前は貴族の手に握られていた暴力を行使する権利が、法的には国家に移管されたものの、実質的には私人の手の中に残り、しかも身分秩序や階級という堅固なヒエラルキーを越えた新たな社会集団が、この暴力行使のゲームの中に絶えず巻き込まれていったという。そして今日のロシアと同様に、私的所有権の導入とともに、新しい機関や組織の保護者としての役割をマフィアに与えることになったというのが、マフィアの原点の一説である。

 その他には、かつて経済史家エミリオ・セレーニが行った解釈に従うと、マフィアは封建制の残滓ではなく、中間借地人という、出来損ないのブルジョワジーが用いる道具であったとされる。かつての封建貴族たちは、その富とともに、社会的な権力も細分化ないし再分配されることによって、シチリア農村部における支配的な地位を、ゆっくりとではあるが確実にすべり落ちていった。けれども、社会的な権力を維持したり、獲得したりするためには、暴力を行使する能力が重要な必要条件あったのである。マフィアは、封建的な経済体制や権力体系が長期にわたって解体していくときに、自分より社会的序列が高いもの低いものの双方に向かって、威嚇を行う能力を発展させたというのである。旧来の貴族層の所領が解体される一方、地域社会の様々な党派が分割された富の一部を奪取しようと試み、耕地の所有権や借地権を獲得するために、党派の内部であろうと、外部に対してであろうと、暴力を行使してでも決着を図ろうとした。こうして台頭した新たな指導階層は、中間借地経営(ガベッラ)のシステムによって、自らの影響圏を市町村規模から、より広い領域に拡大しようとした。これこそが、まさにシチリア中西部に典型的な特徴だったのである。

 

 

 

U.≪マフィア論≫

U‐@<マフィアと伝統社会>

 シチリアの都市部と農村部の狭間に位置し、19世紀にはパレルモ平野と呼ばれていた市域内の新開地や後背地の町村では、マフィア集団は農場管理の濃密なネットワークに始まり、合法、非合法の交易、盗まれた家畜や密売品などの運搬、柑橘類をはじめとする豊かな農業地帯の生産物の仲買といった活動にいたる、地域支配のシステムを作り上げていった。また近年では、この同じ地域が都市部の拡大や建築ブームを管理、運営する役割を果たした。古くから存在する空間、古くから存在する権力が新たな利潤獲得の機会を得たというわけである。さらに、大西洋移民の連鎖の中に組み込まれ、柑橘類のような長距離を輸送する商品の取り扱いに慣れたことによって、タバコや麻薬の密売を行うためのメンタリティや能力が徐々に培われていったのである。

 マフィア=大土地所有(ラティフォンド)、小土地所有=社会的進歩という等式は、マフィア現象を封建的なものの残滓とみなす見方そのものであり、この現象を暗い過去の中に封じ込め、陰鬱な束縛から未来を解放しようとするものである。マフィア現象を解明し、それと闘ってきた長い歴史の中には、「近代的な事象」(農地改革、工業化、学校教育の普及、性的規範の自由化など)がマフィア事象を土台もろとも解体するはずであるという考え方が繰り返し登場する。この図式は、第二次世界大戦直後から、左翼の人々が善意のもとに喧伝し、より多くの公共財とより多くの運用資源の獲得を目指す人々が方便として利用してきた。同様に、アメリカ合衆国では、マフィアは「農民文明の残滓」として描かれ、イタリア系コミュニティが合衆国社会の中に包み込まれることによって消滅すると考えられていたのである。

 マフィアはしばしば習慣、振る舞いであると規定され伝統社会の表現方法であると規定される。名のあるマフィオーソ(マフィア構成員)はすべて、仲介者、紛争の調停者、少女の貞節の保護者であるという風評に固執する。彼らは少なくともその生涯で一度は、強盗犯、レイプ犯、幼児誘拐犯を成敗し、「正義」の手本となったことを誇示する。その上、彼らは権力集団として、外に向かっては合意を、内に向かっては結束力を創出するようなイデオロギーを常に表明している。このイデオロギーは自己完結的なもので、プロパガンダというよりも妄想に近いものであり、往々にしてそれとは異なる現実に直面して破綻する。そこで、このイデオロギー的な枠組みを救済するために、「古いマフィア」が持っていた名誉や尊厳を失い、単なる非行に堕落した「新しいマフィア」、という概念が持ち出されることになる。

 そして「新しいマフィア」たちは、他の犯罪者、組織、警察などから、口々に「マフィアという言葉はかつては良い意味であったが、今では品位を失ってしまった」といった意味合いの議論をなげかけられるようになり、しかもその後の歴史の中でも何度も繰り返されるのである。

 古いマフィオーソたちが凶悪な犯罪者たちにとって替わられた、と言われた第一次世界大戦の時期。シチリア系アメリカ人マフィアが台頭で、1920年代のファシズム体制によるマフィア弾圧直後の時期。古いシチリアの組織「トラディツィオーネ」(伝統)」が、新世界で生まれた新たな凶悪組織に座を明け渡し始めた、とニューヨークのマフィアのボスであったジョー・ボナンノがその自伝に記した、1930年代のアメリカ合衆国。名誉ある農業マフィアが残忍な都市ギャングに活動の座を奪われた、と言われた1950年代。などが例として挙げられるのだが、結局のところ、強欲と残忍さは現在のマフィアと同様に、過去のマフィアにあっても基本的な特質であり、どちらのマフィアも名誉の規範に反して、無実の人や女性、子供を殺害することができるのである。暴力の質や量の違いは、むしろ政治的な変動(たとえば2つの世界大戦)や、様々な世間の対立と結びついていると言えよう。

 

 

U‐A<マフィアという概念>

 「マフィア」とは、19世紀半ばから今日にいたるまで、政治やジャーナリズムの日常的な論戦、裁判、世論、小説などの創作や、文化人類学、社会学、法律学、経済学、歴史学などの研究の中で、常に繰り返し用いられてきた言葉である。しかし、これはさまざまな意味を含んだ多義的な用語であり、それを用いる人の文脈、状況、意図や利害に応じて様々な事柄に言及してきた。今日では通常、狭義の「マフィア」はシチリアの地域的犯罪組織を示し、「カモッラ」はカンパーニアの地域的犯罪組織のことを指している。さらに近年、マスメディアはカラーブリアの犯罪組織に対して、「ンドランゲタ」という名称を用いている。これに対し、中国マフィア、トルコ・マフィア、コロンビア・マフィア、ロシア・マフィアなど、様々な犯罪組織に対してもマフィアという名称が用いられている。すでにして用語の混乱が見られるが、まだこれはほんの序の口に過ぎない。なぜなら、「マフィア」という言葉は、もともと組織犯罪の範囲すら超える幅広い意味内容を持っていたからである。それは、政治的ロビー活動、秘密結社、法的規範を逸脱した国家機構に対して用いられることもあれば、政治、ビジネス、犯罪の3つの世界の密接なつながりや、腐敗、汚職の広がりであると呼ばれた。こうした言葉の用い方は、イタリアで1982年に反マフィア法が制定され、「マフィア的組織」を処罰することができるようになったことを考えれば、とうてい科学的とは言えない矛盾なのである。

 そして、今日では、マフィアは腐敗し、堕落した政治システムといったイメージと重ね合わせて論じられている。マフィアという概念は、時間的にも空間的にも固有の位置付けを失い、時間と空間を異にするさまざまな現象に適用可能な意味合いの言葉のカテゴリーに集約される。つまり、すべてがマフィアであるならば、何もマフィアではないというわけである。

 1900年頃、マフィアという言葉は、古代にまでさかのぼる謎の組織としてアメリカ合衆国にも登場する。その指導部はシチリア島に在住するものの、配下の者たちはどこにでも出現すると考えられた。また、社会主義者やナショナリストといった人々による「外国人の陰謀」を弾劾するためにしばしば用いられ、イタリア政府が共謀していると言う疑念すら抱かれることがあった。

 マフィアという言葉のイタリアにおける最初の用い方と、アメリカ合衆国における最初の用い方には共通点がある。つまり、マフィアとは19世紀の国家が認めたそれぞれの価値に屈服しないものの隠喩であり、暗い闇の中で政治秩序と結びついており、とりわけ暗い過去を継続させ、近代性に敵対する文化的規範を代表しているというわけである。この構図はその後の100年間、形を変えながらも常に再生産され、公的権力の態度に奇妙な矛盾をもたらすことになった。

 そして、19世紀のヨーロッパを代表する民俗学者ジュゼッペ・ピトレによれば、マフィアとは、「セクトでも結社でもなく、会則も規約も持たない。・・・マフィオーソとは泥棒でもならず者でもない。・・・マフィアとは自己の存在に対する認識のあり方、自らの力に対する誇張された概念であり・・・そこには他者による支配はおろか、他者の優越性すら耐え難く感じる意識が存在する。」マフィアをめぐるもうひとつの重要な概念である「オメルタ(沈黙のおきて)」も、本来「ウオーモ(男、人間)」から派生したのであり、それ自体がすぐれて「男であること」、すなわち、侮辱に対して国家による裁きに依存することなく、自らの力で雄々しく応じる人間を意味するとされるのである。

 

 

 

V.≪ヤクザ集団≫

V‐@<ヤクザ集団の類型>

 ヤクザ集団が「社会病理」の問題として考察の対象となるのは、一般社会の基準から外れた条件のうえに成立しているからである。すなわち、ヤクザ集団は集団それ自体としては高度に組織された集団ではあるが、集団を構成する諸条件、たとえば集団形成の沿革、集団構造、集団制度ないし慣行、資金源、集団活動、集団員の社会的背景や生活構造の意識などの諸側面において、はなはだしく一般常識を逸した状態にあるからである。しかもそれだけではない、ヤクザ集団が存立するのは社会的基盤に病理的状況があるからであるが、一方ヤクザ集団の存在は、そのこと自体が社会生活の正常な運行を阻害しているからである。とくに団体相互間、そして一般住民との間にひきおこす暴力的不法行為は、社会の秩序をおびやかし社会不安の根源になっている。昔は、ヤクザは一般の住民に迷惑をかけないことを信条としていたから、社会病理の問題としては注目されなかったが、今日では事態はまったく変化しているのである。

 

 

V‐A<ヤクザの語義>

「ヤクザ」という言葉はしばしば「カタギ〔堅気〕」という言葉と対比して使用されるが、その語源には2つの説がある。1つは、893のブタといって、賭博の一番悪い目から出たというのであるが、2つは、お上の御用〔ヤク〕に産〔サン〕上することから出たというのである。後者の場合は、バクトやテキヤが有事の際に隠密などの御用に召し出され、その代わりに稼業上の便宜を与えられたというわけである。したがって、前者によるとヤクザの主体はバクトであるが、後者ではバクトの他にテキヤも含むことになる。事実、テキヤの中にはみずからをヤクザと呼ぶものも少なくない。ただ、語源としては、通説のとおり賭博起源説が有力であり、またヤクザの正統派を自称し、それを誇りとしたのはバクトであった。

 しかし、ヤクザの語義にも若干の変化が見られた。というのは、語源はどうであれ、彼らの性行にあらわれた「無頼漢」、「遊び人」、「無職渡世」、「暴力主義」などの諸要素が、ヤクザの語義の主要な内容と考えられるようになったからである。そのため今日ではヤクザの呼称範囲も広くなり、「インテリヤクザ」や「兵隊ヤクザ」といったダジャレもみられるようになった。

このようにヤクザの語義には多少に変化があるが、これを「ヤクザ集団」というように集団概念として用いる場合にはその範囲は明確であり、大別するとつぎの3つが指摘される。すなわち、バクト〔博徒〕、テキヤ〔的屋〕、グレン隊である。このうちバクトとテキヤは古い歴史を持つ「伝統的ヤクザ」であるが、グレン隊は歴史の新しい、いわば、「新興ヤクザ」である。なお、非行集団、土建や港湾と炭鉱や鉱山の親分子分関係、院外団体や右翼団体などとヤクザとの関係はどうかといえば、これらはいずれもリーダー格の中には、ヤクザが見られる場合も少なくないが、その性格や構成原理からして、固有の意味ではヤクザ集団とは言えない。もっともこのうち、土建や港湾の親分子分関係は、同時にヤクザ集団の一派に属する場合もなくはない。

 

 

V‐B<ヤクザ集団の歴史>

 明治時代にはいると、バクトの勢力はいっそう伸長したが、そのあいだには幾多の消長が見られた。すなわちその初期は、維新当時の社会的・政治的混乱の過程において一時的に衰退するが、やがて社会的、政治的安定の回復とよもに以前にもまして繁栄し、明治15年ごろには脅威的なものとなった。これに対して、新政府は賭博犯処罰規則を施行して徹底的に取り締まった。そのため、またもや衰退を示したが、日清、日露の戦争が終わり、産業経済の発達と共に徐々に復興していった。しかしこれも明治41年の刑法改正によって再度厳罰を加えられることとなった。大正以降も同様な消長がみられたが、ただ明治末期以後の注目すべき傾向は、バクトはバクチだけで生活するという単純な形態から、興行、土建、手配師などに結びつくという複雑な形態に移行し、さらに大正から昭和にかけては政治権力に結びついて、「大日本国粋会」といった政治団体を結成するようになったことである。このため、従来の非合法団体は公然と半合法団体として、弟2次世界大戦まで存続したのである。

 テキヤの語源は明らかではないが、一説によると、テキヤはヤテキ〔矢的〕の倒置されたもので、商売があたるも外れるも矢の的〔マト〕に当たるようなものだということから出たとされる。それでテキヤを「ヤー様」とか「ヤー公」などと呼ぶならわしがあるが、かつてテキヤよりもヤシ〔野師、矢師、薬師、香具師〕という呼称が一般的であった。これは営業内容が香具売薬が主だったからである。

ところで、テキヤの起源についても古い伝説があるが、歴然とした業態として認められるようになったのは、やはり徳川時代とされる。すなわち、「家名」ができてからである。「家名」とはテキヤの組の固有名をいう。これの機能はいわば商標であり信用状であって、さらには営業連絡のための方便でもあった。家名に属するものは、家名を名乗ることによって結びつき、地元でも旅でも楽に商売ができ、困難時には助けてもらえる生活集団であった。

明治になると、家名は一応ご破産になったが、露店業者は新しい失業者群によって非常に増えた。そこで業界の長老たちは、露店業の性格上、営業場経営がもっとも必要であったので、明治以前の制度を復活させた。しかも、都市の発展は新しい営業場を露店業者にも与えてくれたので、この営業場をめぐって新たな家名が成立した。一方、経済界の不況と共に、昭和期にはいっそう露店業者が増加し、それに応じて家名の創出も相ついで行われた。他方では、家名を権威づけるために新たな家名を認めない方針も打ち出され、代わりに分家や一家などの創設をつくるならわしができたのである。

グレン隊は、第2世界大戦の「与太郎」に系譜をもつが、この与太郎は軟派と硬派の2つのタイプに分かれる。グレン隊は、このうち「軟派与太郎」に系譜をもち、「硬派与太郎」は右翼団体につながる。しかも「グレン隊〔愚連隊〕」という言葉はかなり古くからあったようでその意味は「おろかなつれ物」というのである。これが新興ヤクザなどといわれるのは理由があり、これは戦後、グレン隊が数多く発生してその組織もかたまり、また派手な暴力事件を起こして世の人間の関心を集めたからである。というのも、戦後は自由主義の風潮が横行して、彼らの活動が容易になったばかりでなく、何よりも伝統的なバクトやテキヤの勢力が民主化の波に押されて退潮し、彼らの頭を押さえる力が弱くなったためである。

 

 

 

X.≪比較≫

 このことについて調べるまでは、洋の東西の違いだけで、基本的には似たようなものだろうとばっかり考えていたのだが、そんな考えは完全に覆された。たしかに共通点も少なからず存在し、照らし合わせてみると、条件や状態が完全に一致するものもある。

 代表的な共通点は、世間一般の人々からしてみると、病理的な集団であること、その団体の名称としてではなく、行動、効果、すべてを含んだ概念として存在すること、などがあげられる。

 反対に相違点は、ゴッドファーザーという言葉があるように、マフィアは、ねずみ小僧的なヒーロー性が存在していたこと、弱い一般市民の味方であったこと、もともとの成り立ち方、などがあげられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考文献

 

 

21世紀のヤクザ基礎知識     週刊アサヒ芸能編集部

 

ヤクザ・流血の抗争史       洋泉社

 

新宿歌舞伎町・マフィアの住む街  文春文庫

 

マフィアと官僚          白水社

 

マフィアの歴史          白水社

 

社会病理学            誠信書房

 

リーディングス日本の社会学    東京大学出版会