現代の貧困と公的扶助

                    小林 邦和

 

 21世紀の幕開けは決して華々しい出来事ばかりではなかった。いまだに出口の見えない不景気のせいで完全失業率は5%を超えそうな勢いで上昇を続け、街のいたるところでホームレスを頻繁に見かけるようになったり、全人口に占める高齢者の割合もさらに上昇を続けて本格的な高齢化社会の到来が身近に実感出来るようになってきたりと混沌とする社会情勢の中で福祉の重要性が益々高まってきている。しかし考えてみれば世界屈指の経済大国といわれている日本において日常生活における様々な貧困的要因で苦しむ人々をサポートする制度である福祉の重要性が高まってきているというのは何とも矛盾した話である。確かに日頃これだけモノや情報が氾濫している中で生活をしていると貧困というものを実感する機会はあまりにも少ない。しかも依然として我々の多くは貧困の責任の所在を社会ではなく個人に求めてしまう傾向が非常に強い。果たして本当に貧困は個人の責任におけるものなのであろうか?そこでまず貧困の責任の所在を明確化するところから考察をはじめてみようと思う。

 人類の歴史、それはまさに生活単位が集団から個人へと移行していく過程に他ならなかった。産業革命以前の農業を中心とする社会では生活と労働は同義であった。その中では個人の自由よりも集団の利益が尊重され、その生活は土着の伝統や慣習と非常に強く結びついたものであった。しかし産業革命による市場経済の拡大はこうした人々の生活観を一変させた。近代的な資本主義社会は土着の古い伝統や慣習を打破し、個人に代わって労働という役割を新たに担うようになった企業の誕生により人々の生活から労働が切り離されて今までよりもずっと自由な時間が増えるようになったのである。人々はその自由な時間を私的に使用することにより社会に対して個別にアプローチすることを試みはじめ、それに呼応するように社会構造は個人の自由を尊重するような劇的な変化を遂げたのである。それは換言すれば集団の生活の中でずっと虐げられてきた個人という生活単位にはじめてスポットライトが当てられた瞬間でもあった。

 だがこの個人の自由には大きな落とし穴があった。確かに結婚の自由や労働の自由など生活のあらゆる面において様々な選択をすることが出来るという自由の恩恵は大きい。しかしそれは裏を返せば、それらの選択が全て個人の責任において行われるようになるということである。人間が生きていく上で選択を迫られる局面においては決して容易な選択ばかりではない。中には自分の今後の人生を左右しかねないような非常に困難な選択を迫られることもあるであろう。近代社会の誕生以後しばらくはこのような状況でもしっかりと自己決定が出来るような強い個人というものが尊重され、また求められてきた理想の人間像だったのである。

 しかしだからといって人間は常に誰にも頼らず人生のあらゆる局面において自己決定することが出来るような強い存在であろうか?そもそも人間は生まれてから一人で生きていくことなど到底出来ない。家族をはじめとして人生の様々な場面において多種多彩な人々と出会い別れながら自らが死ぬまで常に誰かと関わり合いながら生きていくものである。それに人間が生物である以上疾病や事故などによる負傷、さらに加齢による老衰など個人の自助努力では解決しようのない問題を常に背負っている宿命を考慮してもどうしても近代社会が志向する個人の自由とは実は一歩間違えればただの放任主義ともとれるぐらいの大きな矛盾をはらんでいたのである。さらに資本主義社会であるが故に当然好況、不況といった経済状況の変動や産業構造の変化などにより不本意な労働環境であっても仕方なく働く人や職を失ってしまう人のことなどを考えてもどうしても個人の自助努力には限界があるのである。

 このように自分自身が身体的及び精神的ハンデを背負って思うように働くことが出来なくなって貧困状態に陥ってしまったり、家族が身体的及び精神的ハンデを背負ってしまってその面倒を見なければならないため同様に働くことが出来ず貧困状態に陥ってしまったり、育児で思うように働けないことによる貧困や会社の倒産等により失業してしまったことによる貧困など個人の自助努力の及ばない貧困、つまり貧困の責任が個人にあるのではなく社会にあるということがよく理解出来るであろう。

 さてここまでで貧困の責任の所在を明確化することは出来た。そこでここからは実際に貧困状態に陥ってしまった人々を救済するための具体的な施策を法律の面から見ていこうと思う。

 貧困に陥ってしまった人々を救済する制度の筆頭として挙げられるのが公的扶助であるが、では一体公的扶助とは何なのであろうか?わが国では公的扶助は社会保障制度の中でその概念が最も色濃く反映されている生活保護法という大きな存在により公的扶助≒生活保護というかたちで双方をほぼ同義のものとして扱っている。もちろんこの公的扶助はわが国固有の制度ではなく例えば『イギリスの旧国民扶助(national assistance)や旧補足給付(supplementary benefits)や現行の所得補助(income support)及び社会基金(social fund)、アメリカの公的扶助(public assistance)、ドイツの社会扶助(Sozial Hilfe)、フランスの社会扶助(aide sociale)』【三訂社会福祉士養成講座6公的扶助論・中央法規出版刊より抜粋】等の諸制度が存在している。

しかしこの名称の違いが示すように各国によって公的扶助の位置付けやその捉え方に若干の違いがあるため、必ずしもこれらの諸制度は全く同義のものではないのであるが、以下のような共通点が存在する。『 @ その対象は、法制的には、基本的に全国民である。しかしながら実質的には、生活困窮者や低所得者等で貧困な生活状態にあり、独力で自立した生活が出来ない要保護状態にある者がその中核的な対象となっている。 A このような状態にあることを確認するため、一般的に資力調査(ミーンズ・テスト)が、その給付に先立って実施される。 B その給付は、社会保険のように画一的な事故やニードに対して画一的な給付を行うのではなく、一般的には、申請者や請求者の個別的ニードに対する個別的な給付であり、自立した生活を送るのに不足する生活需要に対する補足的給付である。 C その財源は国や地方自治体の一般歳入によってまかなわれ、本人等の拠出はなく全額公費負担によって給付が行われる。 D 社会保険等のほかの社会保障制度による給付が先行し、それらの給付によって国が定める国民の最低生活保障水準が維持出来ない場合に、事後的に対応するナショナル・ミニマムを達成するための最終的な公的救済制度である。』【三訂社会福祉士養成講座6公的扶助論・中央法規出版刊より抜粋】これらの共通点の中でわが国の社会保障制度における生活保護法の位置付けと合致している公的扶助がナショナル・ミニマムを達成する上での最終的な公的救済制度であるという点は水際の最終ラインで貧困に苦しむ人々を救済するこの制度の重要性を改めて我々に認識させてくれる。

これらの特質からその概念を規定すると以下のように定義することが出来る。『公的扶助は、資力調査をその前提条件として、貧困な生活状態にあり独力で自立した生活が出来ない要保護状態にある者の申請あるいは請求に基づき、国が定めた自立した生活を送るのに不足する生活需要に対して、国や地方自治体が全額公費負担によって実施する補足的給付であり、事後的に対応するナショナル・ミニマムを達成するための最終的な公的救済制度である。』【三訂社会福祉士養成講座6公的扶助論・中央法規出版刊より抜粋】

まさに貧困対策のリーサル・ウェポンといっても決して過言ではない公的扶助の重要性が理解出来たところで次に我々が気になるのがこの制度を利用している人が実際どのくらいいるのだろうかということであろう。そこでまずはその具体的な数値を日本と比較的公的扶助制度が酷似している諸外国との比較で考察してみよう。

各国の制度的な公平を意図するために調査年次には多少のズレがあることを考慮しつつ確認していくと、まず『イギリスの公的扶助受給者は614万人で人口比111‰、スウェーデンは59万4千人で人口比67‰、ドイツは273万人で人口比33‰、フランスは81万人で人口比14.2‰、日本は88万人で人口比7.1‰』【現代の貧困と公的扶助・杉村 宏著・(財)放送大学教育振興会刊より抜粋】この数値だけを見ていくとわが国の公的扶助受給者の数は他の諸外国に比べて格段に少ないことがわかる。確かにこの結果は日頃我々が日常生活をしていて貧困を実感することがあまりない現状とも合致している。まさに経済大国日本を象徴する一つの特質と言えるであろう。しかし自由競争がモットーの資本主義社会であるが故に日常生活上に存在する大企業と中小企業、高学歴と低学歴、高所得と低所得などのありとあらゆる社会的格差が存在しているわが国において本当にこの数値が示すように国民の生活は裕福なものであるのだろうか?

まず厚生省が毎年発行している「国民生活基礎調査」によれば1994(平成6)年の段階で年収が150〜200万円の世帯が全体の14.1%、200〜250万円の世帯が全体の19.0%、250〜300万円の世帯が全体の23.5%となっている。年収300万円以下の世帯が全体の20%を超えているという現状を考えてみると、とても呑気に経済大国日本を謳歌しているような状況ではなく、我々の普段の生活がいかに常に貧困と隣り合わせの危険性を内在した不安定な生活であるかということが認識出来るであろう。

さらに詳細にわが国の貧困の現状について考察を進めてみると『かつて厚生省は、生活保護世帯の消費水準と同等か、それ以下の水準にある世帯を「低消費水準世帯」として推計し毎年公表していた。この推計によれば1955(昭和30)年には204万世帯、999万人が「低消費水準世帯」に含まれており、全世帯に占める割合は10.8%、人口に占める割合は11.3%であった。年を追うごとに減少したとはいえ、1965年段階でも、153万世帯、478万人(世帯比5.9%、人口比4.9%)に上っていた。この推計は1960年代半ばでとぎれているため、その後はこの分野の研究者が独自の調査などの基づいた推計を行っているにすぎない。こうした推計によると1970年代の初めの段階でも「低消費水準世帯」に相当する「低所得・貧困世帯」は30%にも上っていたが、最近、国民生活基礎調査の世帯類型別・世帯人員別所得階級分布表に基づいて推計したところによると、全体で「貧困世帯」が15.5%、貧困世帯も含めた「低所得世帯」は38.7%であった。』【現代の貧困と公的扶助・杉村 宏著・(財)放送大学教育振興会刊より抜粋、一部省略】「貧困世帯」を含めた「低所得世帯」が40%弱という高い数値であり、「貧困世帯」だけでも15%を超えるというこの現状は決して無視することの出来ない非常に大きな問題であるが、これらの数値が明らかになることによって実はある一つの矛盾が生じていることに我々は注目しなければならない。

杉村氏もその著書の中で指摘しているのだが、前述のわが国における公的扶助受給者の数が88万人で人口比7‰、これは先程の「貧困世帯」や「低所得世帯」の数値と比較してみると数値的に非常に大きな差が生じていることがわかる。戦後間もない頃から現代に至る過程の中で以前とは比べものにならないぐらいに社会保障制度の法整備が進行したにもかかわらず、今でもってこれだけ大勢の人々が貧困状態で苦しみ、公的扶助受給者の数はこれほどまでに少ないのは何故なのだろうか?

この矛盾に多大な影響を及ぼしていると考えられるのが厚生省(現・厚生労働省)が主導して行ってきた保護適正化政策である。保護適正化政策とは具体的にどういうことなのかというと、要するに保護を必要としている人に対して適切な保護が行われているか、また不正に保護を受給している人がいないかどうか等を厳しく調査し、指導及び改善を進めていくことによって保護の適正化を図るといったものである。この保護適正化政策は歴史上今までに3回行われているのだが、まずは順番にその歴史を考察していこう。

『《第1次保護適正化政策》・〈その背景〉…わが国の戦後復興にとって「神風」となっていた朝鮮戦争が1953年に終結し、戦後不況をむかえることになるが、それにもまして緊縮財政の中MSA協定に基づく再軍備のための防衛費の膨張により、社会保障・社会福祉費の抑制が計画された。1954年度予算の策定にあたって、原案では生活保護費や児童福祉費の国庫負担を80%から50%に削減するというものであった。この原案は国民の広範にわたる抗議・撤回運動により撤回されることになったが、その見返りのような形で第1次適正化政策が実施された。〈その対象〉…この時期の主要なターゲットは生活扶助と医療扶助双方の適用を受けていた結核患者と保護率が全国平均に比べて非常に高かった在日韓国・朝鮮人であった。《第2次保護適正化政策(1964〜72年)》…高度経済成長期のエネルギー転換政策によって炭坑の閉山が相次ぎ、産炭地の保護率が著しく上昇したのと、農業構造改善の名目で、農村から都市への労働力の流動化が促進されたことによる過疎化の進行が農村の貧困状態を悪化する中で上昇する保護率の双方を抑制するために被保護層の稼働能力者を対象とした第2次適正化政策が展開された。』【現代の貧困と公的扶助・杉村 宏著・(財)放送大学教育振興会刊より抜粋及び要約】こうした2度にわたる保護適正化政策によって1955年の193万人から16年後の1971年には133万人と17年間で30%減少した訳だが、この経過の中で大勢の人々が不当な扱いを受けて苦しめられた。結核患者に対しては入退院基準を見直して安静度5度の患者を退院させたり、重症患者の場合は親族を探し出して扶養を強要したりした。在日韓国・朝鮮人に対してはサンフランシスコ条約の締結により、いままで日本人として扱われてきた彼らが在日外国人となり保護請求権を失ってしまうことを利用して収入の推定認定によって保護を廃止したりした。第2次適正化政策においても稼働能力者のいる被保護世帯に対して、その稼動収入が最低生活基準を上回っているかどうかではなく稼働能力者が保護を受けていることを問題視して些細な収入申請の食い違いを不正受給として保護を廃止してしまうという酷い措置が採られた。しかしこうした保護適正化政策もまだほんのプレリュードでしかなかった。

第3次保護適正化政策は3回の保護適正化政策の中でも最も厳しく実施された政策であり、その中核を成すのが「123号通知」であるが、まずはその背景を考察していこう。この制度の背景には大きく分けて2点の理由があった。まず第1点は列島改造を目指した赤字国債による膨大な公共投資のツケが財政硬直化を招き、この財政危機を社会保障・社会福祉費用を削減することによって解決するために保護適正化を推進していったということである。2点目は1980年に和歌山県御坊市で起きた暴力団員の生活保護不正受給事件であった。これはこの暴力団員が生活保護費でナイフを購入して銃刀法違反で逮捕されたという事件であったのだが、この事件をきっかけに不正受給防止の世論がかつてない高揚をみせたことにより保護適正化が推進されたということであった。そしてこの世論の強い後押しに呼応するように登場したのが、厚生省(現・厚生労働省)が1981年11月に発令した「123号通知」であった。

まず123号通知とは具体的にどういう内容なのかというところから見ていくと『「123号通知」は、そのタイトルが示すように「生活保護の適正実施の推進について」指示したものである。その内容は生活保護申請時点で、福祉事務所が資産活用、収入状況などについて、どのような関係機関に対しても照会してよい旨同意することを白紙委任する「同意書」を取ることができるとして、これを拒む場合には申請の却下、保護の停止を検討し、またこれに基づく照会調査で不正受給が確認されたときには、刑事告発をするよう指示するものであった。』【現代の貧困と公的扶助・杉村 宏著・(財)放送大学教育振興会刊より抜粋】

この123号通知は想像以上の多大な苦難を貧困で苦しむ多くの人々にもたらした。被保護世帯の世帯類型別世帯・指数の年次推移表【現代の貧困と公的扶助・杉村 宏著・(財)放送大学教育振興会刊より引用】によると被保護世帯数のピークだった1985年から1995年の10年間で被保護世帯数は全体として25%弱減少している。種類別に見ていくと1995年において85年と比較して被保護世帯数が増加しているのは高齢者世帯のみで、母子世帯、傷病・障害者世帯、その他は全て減少している。この中でも母子世帯の減少は著しくて、1985年の11万3,979世帯を100とした場合、1994年には5万2,373世帯で45.9と半数を大幅に越す減少をしている。

では何故これほどまでに被保護母子世帯の数は減少してしまったのだろうか?そこには123号通知を盾にした福祉と呼ぶのが憚られるぐらいの福祉事務所の傲慢な対応がある。母子世帯の母親に稼働能力があるからといって子どもの養育状況や就学状況を無視して無理やり就労の指導や指示を行ったり、色々な個人的事情があって別れた夫を扶養義務があるからというだけで探し出して強引に扶養させようとしたりと個人の事情などまるで無視してズケズケと他人のプライバシーに無神経に踏み込むこんな仕打ちを受けたら誰だって生活保護を受けようなんて思わなくなってしまうだろう。

このように123号通知はまさに公的扶助の精神から逸脱した発令であるが、次にその具体的な問題点を考えてみようと思う。まず第1に挙げるのがこの制度自体がすでにその主旨を逸脱したものであるということである。不正受給を調査するためのありとあらゆる関係機関に対する調査は保護受給者や申請者に大きな恐怖心を与えてしまう。だからみんな躊躇してしまって本来保護を受けるべき人が保護を受けられなくなってしまうという適正化とは程遠い結果を招いてしまうのである。つまり適正化を志向した制度自体が適正化の障壁となってしまっているのである。第2にその著書【現代の貧困と公的扶助】の中で杉村氏も指摘しているように不正受給の調査をする際、本来生活保護法では具体的な必要があるときに限定をされているのに、123号通知では予備段階で同意を強要するので、この発令が法律に違反しているということである。

これだけの問題点を抱えているのに123号通知は今でもって廃止されるどころか見直されてもいない。確かに仕方ない部分もあるかもしれない。予算編成の中で常に弱い立場に立たされて予算削減の際には常に真っ先に削減の対象となってしまう(もともとこの部分が間違っていて我々の生活と密接に関わり合っている福祉ほど優先して予算を廻すべきなのである。)福祉の現状を考慮すれば適正化政策が必要なのは私にもよくわかる。しかしすでに述べたように制度自体が既に矛盾している欠陥制度をこのままにしておくのはナンセンスである。今後ますます福祉の重要性が増していく中でこのような負の遺産を抱えたままでは我々の将来に暗い影を落とすばかりである。貧困は決して他人事ではない。我々の生活は常に貧困に陥ってしまう可能性と隣り合わせなのであるのだから。早急な改善に期待したい。

 

 

 

 

【参考文献一覧】

『現代の貧困と公的扶助』 杉村 宏著

(財)放送大学教育振興会 刊

 

『三訂社会福祉士養成講座6 公的扶助論』

中央法規出版 刊

 

『ウェルビーイング・タウン 社会福祉入門』

岩田 正美・上野谷 加代子・藤村 正之(著)

有斐閣 刊