貧困

  星野洋範

                                         

 

 1990年代後半からの長期不況にあえぐ日本では、2000年に入っても、規制緩和の名の元におこなわれている企業のリストラや、雇用破壊、社会保障構造改革の名の下に進められている社会保障制度の相次ぐ改悪によって、国民の雇用不安や、生活不安がますます深刻化している。完全失業率は5.3%にまで達し、失業者総数は360万人を突破した。失業は中高年層だけでなく、若年層にも拡大し、そうした世相を反映してか、犯罪や、自殺の増加などの社会不安が広がっている。2000年1年間の自殺者も約3万3千人で、過去最悪となり、経済生活問題を苦にした中高年層の自殺の増加が目立っている。そうした中、ホームレスの急増も目立ってきた。国民皆年金、国民皆保険体制の中で、保険料を支払うことができず、無年金、無保険となっている人が、被保険者の2割近くおり、生活保護受給者に占める割合は0.7%にすぎず、生存権が等しく国民に保証されているにもかかわらず、全国で、約2万人のホームレスが確認されている。ではどう対策すればいいのか。これから年々増え続けるホームレスの問題について考えたいのだが、同時に、貧困というものがどういうものなのか、発展途上国、先進国に分けて調べ、テーマを掘り下げていきたいと思う。

 

<貧困の定義>

 貧困について考える場合、その実体は曖昧であり不鮮明である。従ってその現実をつかむためには、「貧困とは何か」について、ある規定がなければならない。それを決定しないことには、政府が決定する公的扶助、とりわけ生活保護の実行ができない。貧困者を確定すること、これが救済への第一歩となる。

 貧困とは絶対的なものか、あるいは相対的なものか、歴史的に議論がなされてきた。

D.Wedderburnによると、貧困は、相対的な概念であるという。なぜならば、今日餓死するかもしれないインドの農民の貧困は、ヨーロッパや北米で貧困といわれている人々が苦しんでいる状態とは、質的に異なったものであるからである、と述べている。なるほど、そのとおりである。では、貧困は相対的な概念なのかというと、実は貧困には、生活破壊に至るような絶対的なポイントがあるともいわれている。つまり、時代や社会を越えて比較考察しようとする場合、貧困の相対性という位置ずけは、妥当性を有するものであり、他方、ある時点のある社会に限れば、そこでの貧困に陥った人々の生活問題の貧困さには、ある種の絶対性が存在する。この両者をつなぐ発想として、K.mannheimの「相関主義」という考え方が参考になる。それは、ある社会のある時点との相関でのみ明確に確定し、有効性を用いる貧困という考え方である。多少の比喩を使うならば、カメラの焦点を一カ所しか認めないのが絶対主義的発想。被写体や、それとの距離により、多数の焦点があるのが相対主義的発想。そのため、相対主義は、唯一の焦点を持たない。相関主義は、おのおのの被写体の中にジャストフオーカスポイントが存在し、焦点の複数性を認めるという発想である。つまり、複数の焦点を認めるということは、異なる時代や異なる社会ごとに貧困の定義が確定されるわけである。たとえば、世界銀行が発展途上国の貧困に対して定義した「国民一人あたりの平均収入の3分の1以下の収入を持つもの」や、国際的に普及している「国家扶養基準の1.4倍以内」という貧困層の定義がある。以上のように貧困の定義の変容をめぐって議論がなされてきたのである。

 

〜〜〜1章 発展途上国における貧困〜〜〜

 

 

 発展途上国の抱える問題として、南南問題、つまり資源を持つ発展途上国や工業化が比較的進んでいる発展途上国と、資源を持たず開発の遅れている国との間の経済格差の問題がある。また、特に経済発展が遅れている国、後発発展途上国(LLDC)が存在する。そこでは、識字率が20%以下、国民総生産額も500ドル未満と低く、飢餓が恒常化している。具体的にどの程度貧困化しているのか、東南アジアの貧困に的を絞って実態をみていきたい。

 

 

1.東南アジアの貧困の実態

 

 途上国の中でも、東南アジアの経済はかなり改善され、豊かになったといわれている。タイを例に挙げると、1970年国民一人あたりのGNPは173ドルだったが、1980年には724ドルとなっていて、この時点ですでに世界銀行の分類による低所得国の基準(1980年で410ドル以下)を脱しており、1992年には、1840ドルにまで達している。だが、国民全体が豊かになったのだろうかといえば、結論として、比較的裕福な層は、さらに豊かになっているが、貧しい層は相変わらずか、、あるいはそれまでにもまして貧困化しているといわれている。そしてこの富の偏在という問題は、都市においてよりも、農村において先鋭化している。1975年貧困の発生率は、都市で12.53%であったのに対し、村落部では36.16%であり、1990年には都市では6.14%に半減したが、村落部では29.43%と減少はしている者の、都市に比べ、発生率は高くなっている。これは都市の膨張と、農村の縮小という形で現れている。都市人口の、全人口に対する比率は、マレーシアで26%から41%、タイで13%から21%、斑入りピンで32%から41%、インドネシアで16%から27%へといずれも増加している。それも、人口増加がきわめて限られた都市で起こっている。マレーシアの首都、クアラルンプールが100万人都市なのに対し、第二の都市、ジョホールバールは30万人である。タイでは、人口規模2番目のチェンマイが約30万人であるのに対し、バンコクが、600万人の人口を抱えているが、スラム人口を入れると800万人とも、1千万人ともいわれる。特にバンコクでは、大都市への一極集中が大きな問題となっている。そしてこの状況は、フイリピンにも、インドネシアにもみられる。つまり、都市人口の層かが、一部の都市への過度の集中という形で生じている。

 なぜ、過度の人口集中が起こるのか。端的に言えば、農村の貧困が農民を都市へので稼ぎに追いやり、また、都市の経済的魅力が、これらの貧困層を引きつけるからだといえるだろう。都市へ行っても、経済状況がよくなるとは限らない。だが、農村に比べて、就労の機会が多く賃金も高い。また、華やかな都市生活が、1つの魅力となっていると考えられる。農村から都市に出稼ぎにきた者は、特にバンコクでは住宅が十分ではないため、スラムや、スクオッターに居住するが、建築工事現場近くの飯場に居住することになる。これらの都市への移住者は、貯蓄をして故郷に帰る者もいるが、すでに多額の借金をしている者も多く、貧困から抜け出すのは用意ではない。また、農村に残った者も、農業から得る収入は多くはなく、貧困な状況を続けていくことになる。

 このように、発展途上国では、都市と農村が相互に関わり合って貧困を生み出している。しかも都市と農村の生活状況の差は開く一方であり、このまま都市への人口流入が続けば、農村は、ますます疲弊していくことになる。

 

2.発展途上国の貧困理論の展開

 

 発展途上国が西欧に比べて貧困である理由について様々な仮説が立てられている。1940年代には、悪天候が作物の不作をもたらし、これが途上国の貧困をもたらしているという仮説から始まり、1950年代には、貧困による栄養不良が、人々の健康状態の悪化を生み、これが労働力の質の低下をもたらし、質の悪い労働力が貧困を再生産するという貧困の悪循環論が唱えられた。そしてこの悪循環を断ち切るための方策が先進国による資本投資であると考えられた。この後現れたのが、近代科学はの仮説である。これは、発展途上国の貧困の原因は、産業や社会の近代化の遅れにあると考え、この貧困の解決は、急速な経済成長と、伝統産業の近代化という資本主義的戦略によらなければならないとした。この仮説は、1960年代の開発制作に大きな影響を与え、世界銀行や、先進国による政府開発援助を方向付けた。しかし多額の資本投下にも関わらず、発展途上国の経済が停滞し、政治、社会の不安定状態が改選しなかったことから、先進諸国内での経済成長主義への疑問が生まれ、この仮説は影響力を失っていった。1960年代にはマルクス主義陣営から従属論という者が提起された。それは、先進資本主義国を中枢、発展途上国をその中枢に従属する衛生と名付け、中枢と衛生の関係を搾取、収奪という視点で分析したものである。すなわち、多くの発展途上国の輸出経済が、植民地期における宗主国による搾取と収奪の上に気づかれたものであり、独立後も、発展途上国の輸出経済の拡大が、帝国主義的支配に従属することで促されたこと、そして途上国の支配車層が、帝国主義的支配者と結びついて国民を搾取したことによって国民の貧困が増幅されたとするものである。その後現れたのは、福祉・再分配・開発学派であり、経済成長によってもたらされた富の再分配を計画的に行うことを主張している。これは、1970年代に経済成長だけでは貧困を解決するのは不可能であると認識されたものであり、国連ではこの学派の考えに基づいて、経済成長中心から、福祉を視野に入れた政策の転換を呼びかけている。そしてILOや、世界銀行関係者は、単に経済成長のみを強調するのではなく、教育、保険、栄養、出生が収入に大きな影響を与えるとして、これら全体的な質の向上を図る人間開発を課題としている。そしてあらたなりろんとして、テイエリ・ベルヘルストが提唱したものは、第三世界の諸民族の土着文化を尊重する姿勢であるとす2驍烽フである。大多数のプロジェクトが追求する開発は、西欧を中心とする価値体系を第三世界に押しつけているにすぎないというのである。各民族が、その遺産の中に生き甲斐と、生きる手段を見いだし、identityを回復し、必要であればさらに変革することであると述べている。

 

まとめ

 

 私が貧しいと思っている発展途上国の人々は、実は、私のそれぞれの土着文化を尊重する姿勢がかけているために存在しているのかもしれない。そして、身勝手に西欧の価値体系を押しつけ、そうして第三産世界の貧困問題がどうにかならないか、と自己満足に陥っているだけなのかましれない。そういういちめんもあるだろう。だが、先にタイの農村について述べたように、現実に貧困が深刻化しているのも事実である。しかも、時とともに経済発展にがこの不平等を是正するどころか拡大させている。タイをはじめとする途上国の国々にとって、これはきわめて重大な問題であるが、この解決への具体策は、まだ生み出されていない。なぜなら、国連や先進国からみても、発展途上国の貧困と不平等を総合的に分析するのは不可能であり、貧困の原因1つ取り上げても、これを説明するのはきわめて困難だからである。東南アジアだけでも貧困の原因を一元的に説明できず、ましてやアフリカ諸国や、中南米諸国を視野に入れて原因究明することは至難の業である。それは、発展途上国それぞれに固有の歴史があり、政治的、経済的状況や、文化、習慣が異なるからである。ただ1国ないでみると、たとえばタイにおいて1990年代、社会保険法及び障害者社会復帰法が施行されている。これらの法律の施行は、国民の福祉の第1歩であると考えてよいだろう。

 

3.不平等拡大の要因

 ・課税前所得における不平等

 

  所得には様々な要素がある。事業家は事業所得、財産のある者は財産所得、そして大多数の国民にとって必要なのは賃金である。所得の不平等の原因としてまず、業種別に賃金格差が拡大していることがあげられる。この不況の中、公務員が民間の給料を上回ることや、税金をつぎ込んだ銀行の役員の給料が高すぎることや、また賃金格差とはいえないが、官僚が天下った先で退職金を受け取ることなど、不平等をあげれば枚挙にいとまがない。つまり、賃金が当人の労力や能力に応じて決定されていないのである。

 賃金格差が拡大する要因として、現代における就業構造の多様化があげられる。また非典型労働、つまりパート、派遣労働、臨時労働、一時的労働、家内労働、季節労働等の進展も賃金形態を複雑にする。賃金形態が複雑になれば多少の格差が生じるのは当然だが、税金の無駄遣いや、一部の人間が他人の甘い汁を吸うような状況はつくらないようにするのが筋であろう。

 さて、不平等に関するもう一つの要素は資産所得である。特に土地が大きな影響を及ぼす。土地を持つ者と持たざる者とでは、資産格差が拡大するのがふつうである。だが、今日の日本のようにデフレの状況では、資産格差は当然縮小の方向に向かう。

 

・課税後所得における不平等

 

 まず、税制における不平等である。近年多くの先進国で、間接税の比率が増す傾向にある。消費税や付加価値税等であるが、こうした間接税は逆進税であるため、低所得者や年金生活者により重い負担となる。

 次に社会保障の後退があげられる。社会保障はその機能として、より平等な社会構造をもたらす。より豊かな者から貧しい者への、所得再分配のメカニズムだといえる。だが近年、特に日本で景気の後退が歳入を減らし、財政赤字の増大が財政の硬直化を引き起こし、社会保障が十分に機能していない。また、先進国共通の問題として、高齢化が大きな影響を及ぼしている。よく言われるように、より少ない若者が、より多い老人を年金を通じて扶養することになるからである。賦課方式、つまり現役労働者の保険料が年金生活者に即移転する方式においては、もっとも深刻である。さらに、高齢化に伴い医療費の増大が予想される。それは健康保険や、医療サービスの財政を悪化させる。ここでも社会保障の後退がささやかれている。

 

まとめ

 

 先進国においては、社会保障が充実すればより平等な社会になる。西欧、特に北欧のように高い税率により社会保障の完備のため前進している国々もある。だが、我が国においては少なくても、社会保障のリストラの方向に改革と再編が進められようとしている。介護保険制度の導入や、現在行われている医療保険制度の改革がいい例である。それらはいずれも国費の削減、国民負担の強化、医療福祉分野の民営化の方向に向かっている。いずれこれらの動きは、年金制度、社会福祉制度全般にも及ぶであろう。最終的には社会保障における財政責任も含めた、国や自治体の公的責任の縮小と放棄へ帰結する可能性が高い。国民の生活不安を解決するはずの社会保障が、日本ではかえって生活不安や老後への不安を助長しているのである。

 

 

1.我が国における貧困概念の特徴

 

 まず、日本の貧困問題が、歴史的にどのように推移していったのかみてみたい。貧困は戦前、細民調査とか、カード階級調査とか、被救護者調査といったものから始まっている。それは、誰がみても生活困窮者であると思われる人々の生活状態を持って貧困と見なし、要救護者台帳のカードに発載した人を救済するものだった。その後1945年、戦後の生活困窮者の大群を前に、応急処置として、生活困窮者緊急生活援護要項が出され、1946年GHQの指導の元、公的扶助が、生活保護法(旧)として成立した。この時期における貧困とは、今日の貧困概念とは違って、最低生活水準ではなく、最低生存水準を下回る者であった。1950年代になると、生活保護世帯の消費水準とほとんど変わらない水準にある集団を、「ボーダーライン階層」や、「低消費水準世帯」と位置ずけるようになった。生活保護をめぐり、朝日訴訟(注1)や、堀木訴訟(注2)が起こったのもこの時期である。いずれにしても戦後日本の貧困概念が、応急的な「生存」水準を持って行われたため、人間らしい「生活」が中心となり得なかった。そうして1960年代から本格化する高度経済成長を経て、そのような水準の貧困は、あたかも消滅したかのように考えられるようになったのである。だが、実際には冒頭で述べたように、ホームレスが急増している。貧困=ホームレスとは限らない。そこには母子家族や、一人生活保護受給者など、様々な形態が存在するが、私にとって、ホームレスこそ、憲法第25条の生存権、すなわち『すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』に反する存在となっている。よって次に、ホームレスに焦点を当てたいと思う。

 

(注1)朝日訴訟:195767にかけられて争われた訴訟。国立岡山診療所入院中の朝日茂氏が国の性活保護の給付内容が不十分で憲法第25条に違反するとして起こした訴え。最高裁(1967)は、なにが健康で最低限度の生活かの認定判断は、厚生大臣の合目的な裁量に委ねられており、裁量権の逸脱または乱用の場合のほかは当不当の問題はあっても直ちに違法の問題は生じないとした。この訴訟は、生存権の保証と国の責務に関し、大きな課題を残したが、その後の生存権保障の改善に影響を及ぼした。

(2)堀木訴訟:全盲と母子世帯という二重の負担を負った堀木フミ子氏が、障害福祉年金と、児童扶養手当の併給を禁止した、児童扶養手当法の規定は憲法25条などの違反するとして国を相手に起こした訴訟。同条の規定がプログラム規定であるかをめぐって争われた。

2.ホームレスとは

 

 ホームレスという言葉は、欧米でここに十年ほどの間、路上などで夜を過ごす貧困者の増大にともなって、使われるようになったといわれ、比較的新しいのに気づかされる。このホームレスという言葉は文字通り「居住にかけた状態」であるが、同時に「規則的な職業と安定した収入の欠如」した状態であり、さらに、「規則的な食事や入浴、適当な衣類、結婚、出産、教育、選挙といった同じ場所での規則的な生活そのものがない状態」を意味している。住居の欠損はまた、社会への接点の喪失を意味し、ホームレスは、社会から分離された状態であると把握されている。

 次に現在日本のホームレスについて具体的にみてみる。年齢では最近若者の急増も目立つが、7割が50代60代であるという。職業経験をみると、長期でもっとも多いのは土木建設作業員で、その他職人、運転手、飲食店など様々である。ホームレスになる直前期には、半分以上が土木建設作業員に従事しており、ついでガードマンや清掃となっている。続いて雇用形態では、ほぼ半数が常勤労働者や自営業であったが、超前期では日雇い形態が圧倒的に多くなっている。女性ではパートタイマーである。学歴は、男性では6割、女性では5割が中卒である。結婚経験として、男性6割、女性3割が経験なし。なお、結婚経験ありの場合、9割は離婚をしている。

 

3.ホームレスの状況

 

 ここでは実際にホームレスが集まる大阪府の西城区に焦点を当て、現場の状況をにてみることにする。そこは、「あいりん労働福祉センター」がある、全国で一番大きな日雇い労働者の集まる場所である。平均年齢54歳、ホームレスの数は8660人に上る。朝あいりん労働福祉センターのシャッターが開くと、待ちかまえていたようにホームレスが段ボールや布団を持って入ってくる。労働を探そうにも、37人の清掃雇用に1700人以上も登録しているような状況である。40日に1度仕事にありつくかどうか、それで生活をしなけれればならない。1日数百円のどや住まいもできず、食生活も悪化している。ゴミ箱から食べ物を拾い、喫煙者は吸い殻を拾って吸う。労働センターが開いている間は公衆トイレがあるが、夜間のトイレは1カ所だけとなる。 

 

赤痢発生

 1998年、あいりん地区で史上にもまれな赤痢の集団発生があり、患者50名を越えた。そして現在では130人に達している。結核患者の率は、日本の平均の約5倍で、東南アジアやアフリカの割合に匹敵する。そしてこの地区での死亡率は10万人あたり2200人で、この数字は日本の終戦直後に匹敵する。

 

 第1章から途上国、先進国そして日本についての貧困についてみてきたが、我が国のホームレスの問題は他国に比べ、ある種特殊な問題だと気づかされる。なぜなら、日本の貧困はたとえホームレスであっても、平均的な生活レベルから比較して貧しく見えるだけであり、途上国の極貧と呼ばれる状況とは比較ならないほど裕福だからである。実際に声をかけたりともに語ると、以外に生活保護を受けていたり、働こうと思えば働く環境にある。さらにやくざと絡んでいてそれ以上話に入り込めない(実際は入り込んでいるが)人も大多数いる。結局日本の経済状況も問題だが、ホームレス自身にも大きな問題がある。私は実際ホームレスに深入りしてだまされたり、痛い目にあったが、それでも中には、自分ではどうすることもできない苦しいホームレスもいる。とにかくそういう苦しい人間が、一人でもいなくなれば本望だが、実際にアドバイスしたり、資金援助したり、精神科を紹介したりしたが、立ち直らせるのは本当に困難である。もう一度いうが、生活困窮者がいなくなることが私の願いであるが、これ以上ホームレスの問題に深入りするか、完全に手を引くか、その先のことは、私に本能が決めることであり、これ以上は何にもいうことはない。