地方交付税と地方分権
箕輪 幸啓
「ダムと日本」に提起されている問題を考えるとき、地方交付税について調べてみようと思った。
地方交付税には二つの目的がある。第一には、地方自治体間の財源の均衡化を図ることである。第二は、国が水準を決めた個々の歳出項目についてその財源を保障することである。
自治体の目的ごとの歳出基準は中央官庁によって非常に細かく決められている実情があり、それを達成するために不足する分の財源が交付税で支給されているのである。全国の自治体をひとつの経済単位のように見立てて、歳出と歳入の計画を立てているものを地方財政計画とよばれており、交付税の総額はこの計画によってきめられているのである。 交付税の合計金額はこの計画によって決定されている。交付税の財源は、国の税金収入の一定の割合分が割り当てられているが、それでも不足してしまうという金額は特別会計を経て借り入れという形で補充されている。借入残高は昨年度末で約38兆円という数字になっている。こうやって、総額が決められると個々の自治体レベルでは、国が定めた歳出基準と税金収入の差額が交付税によって補われる。
つまり、現在の制度でのやりかただと、歳入と歳出の両面の金額について国が保障しているということである。もともと、戦後の統治方針や日本の戦前からの強い中央集権的傾向に原因があるとも考えられると思うが、これほどに、細部まで綿密な財政保障がなされている国は少ない。
地方分権を進めていくためには、中央政府が細やかに各自治体の歳出を決めるのではなく、国は国の役割(外交、防衛など)に専念するべきであると思う。
ただ、各自治体によって経済力的な格差が存在することは否定できない事実である。国の役割を限定してそれ以外の部分を地方の財政の自立に委ねたとして問題になるのが、財源の均衡化という交付税の第1の目的である。現在以上に地方間の格差が広がり、均衡化が崩れからである。この意味で、地方交付税制度の見直しは、高度成長期を支えた経済のシステム、社会のシステムを根本的に見直すことでもある。「国土の均衡ある発展」という言葉が終わりのない、限度のない公共事業を許してきたように、「均衡」という政策としての目標に弊害が目立ってきている。キャッチアップ時代ならともかく、わが国は状況を考えれば均衡化を脱して個性化を重視するときではないだろうか。
財政の均衡化という趣旨をはずした上で、国が国の最低限の役割を確保する方法としては、次の2つが考えられると思う。
第一は、ナショナルミニマムの水準を具体的に定めて、国庫委託金のかたちで国が保障する方式である。これは、歳出面での保障となるものである。第二は、産業構造や高齢化比率によって自治体間に大きな格差が生じないよう、人口などを基準に一定の歳入保障を行う方式だ。たとえば、ドイツの共同税のように、地方の共通財源を徴収してそれを人口基準等で各自治体に配分する方式が考えられる。この場合、歳出は完全に自治体の判断に委ねられる。この二方式のいずれでもなく、歳入と歳出の両面での保障が必要というなら、地方分権そのものをあきらめるしかないと思う。
構造改革と財政改革
財政改革は避けて通れない課題だとおもう。景気の動向を見極める必要があるとはいえ、景気回復の確認と同時に財政構造改革の見直しに着手できるものではない。どのような方法で改革を進めるか、早急に議論を始めておく必要がある。その際、忘れてならないのは地方交付税の問題である。通常、国の財政との関連で歳出削減の対象とされるのは地方自治体への補助金であり、交付税制度の抜本的見直しまでは言及されないことが多いと思う。 しかし、地方財政の改革は、ひも付き補助金を減らせばできるというものではなく、財政運営に責任を持つ体制を作ることこそ重要である。
地方財政の改善策として、地方の独自財源の充実が必要だとよくいわれる。歳入面では国と地方の割合が3対2であるのにもかかわらず、歳出面ではこれが2対3に逆転するから、地方の独自財源を増やしてこのギャップを解消すべきだ、と。
しかし、このギャップは地方交付税と補助金とで埋められており、財政調整分を考慮すれば地方の財源は手厚く保護されている。問題は、税収の不足分を、国を通しての配分で補充するか、それとも地方税の比重を増やして財政自立の度合いを強めるかという二つの考え方である。
歳入の大半を国からの配分に依存すれば、自治体の自由度が奪われると同時に、財政運営に対する無責任さも生まれる。実際、交付金や補助金への依存度が高いところは、財政不足をいいながら危機感は弱いと感じる。首長が住民や企業に直接向かい合って増税を要請することはないし、その必要もないという。行政サービスの対価として税を徴収することこそ政治の基本であり、国のレベルでは増税のときに内閣がつぶれている現実がある。しかし、地方自治体では増税を通して政府が住民の批判にさらされるルートが断たれているのである。
したがって、地方分権を進めるにあったっては、財政自立の度合いを強めることが最大の課題であると思うと。地方交付税制度とセットの地方分権はありえない。交付税で財源が保障されている限り、市町村合併も進展しないだろう。しかし、交付税制度の改革は政治的な軋轢が強いために、地方分権推進委員会でも本格的な議論がなされなかった。
財政自立を進めれば、自治体間の財源格差が広がるのは避けられないから、国全体でどこまで調整するかが重要なポイントになる。すなわち、次の三点がセットで改革されねばならないといわれている。一つ目が、地方交付税を廃止して、最低限の保障のための財政調整制度を作ること、二つ目が、国税から地方税に財源を移すこと、三つ目が地方自治体に課税自主権を与えることである。
石原新税
そして、税制の新しい動きとして東京都の「外形課税」がある。外形課税とは、従業員数や面積、事業規模など、外から見て把握できるものに課税することをいう。現在の法人事業税を、所得基準ではなく外形基準にすれば、赤字法人にも税負担が発生する。行政サービスの対価としての性格を持つ地方税を、赤字企業も含めて広く薄く担わせることがこの課税の目的である。
この観点から見ると、大手銀行にだけ適用する根拠はどこにもなく、東京都の課税は取りやすいところからとる税に他ならないと感じる。しかし、広く薄く赤字法人にも税負担を求めることは政治的に難しいと思えるし、抵抗を避けて導入を図るとなれば、特定業種だけ、あるいは一部の大企業だけを対象としたとりやすいところから取る税にならざるを得ないだろう。ここに大きな問題がある。いま、全国一律導入を求める動きが自治体で高まっているが、安易に導入を図ると似て非なるものになる可能性が高い。そうならないためには、地方分権化における地方財政のあり方という骨太の課題に取り組み、そのなかで税の改革を行うことが必要ではないだろうか。
地方分権に添った形で外形標準課税を導入するとすれば、課税方式は共通に設計するにせよ、税率は自治体に任せることが望ましい。反対する自治体は税率ゼロにすればいいのである。しかし、現在のように税収の不足分を地方交付税で補充させる仕組みがある限り、自治体は本気で独自課税に動くことはないだろう。外形標準課税に限らず、地方分権にふさわしい税体系にするには、地方交付税の抜本的改革が不可欠だ。このことの重要性に比べれば、外形標準課税の議論はさほど大きな意味は持たない。東京都の課税が起こした議論を、外形課税の是非にとどめず、地方交付税の改革にまで結び付けるべきだとおもう。
地方交付税制度の改革には反対が強い。改革の推進力はほとんどないといってもいい。多くの地方自治体にとって、また政治家にとっても、現行の制度は都合がいい。しかし、ここでのべてきたように、各自治体が財政運営に責任を持つ体制を作らなければ、地方財政の改革は進まない。地方経済の活性化も進まないだろう。まずは省庁から独立した議論の場を作り、地方交付税改革の見直しにも着手しねばならないのではないだろうか。
公共事業と介護保険
かつて、そして今でも公共事業は地方が中央から頂くものであったといえると思う。では、介護保険制度はどのように地域社会に浸透していくのだろうか。「保険あって、サービスなし」と懸念されていたという、サービス供給の基礎基盤だが、市町村の全国組織である「福祉自治体ユニット」が介護保険法が成立した、1997年から1999年4月までの間に、市町村で在宅介護サービスの供給がどのように進んだのかを調査した結果によると、各種在宅介護サービスの伸び率は平均で1,6倍と大幅な伸びを示したという。特に、訪問介護サービスはこの2年間でこれまでの2倍以上に訪問回数が増えており、長崎県佐世保市の4,6倍を最高に、3,2倍以上の伸びを示した自治体が20あったとの結果がでている。ちなみにこの点も注目すべきだが、これら在宅サービスの伸びと自治体の財政力や自治体の人口規模とのあいだには有為の相関関係はなかった。介護保険は急速にサービス供給を促進し、同時にその「地域格差」をもはっきり示しつつあるように見える。
では、質的な面の評価としてサービス利用者は、介護保険をどのように見ているのだろうか。神戸市は、5月に在宅の利用者を対象にして調査を行った。その結果サービスの供給量が急速に増えており、全体としての高い満足度の他、制度開始直後でも新規の利用者が25パーセントもあることや、利用者は良質なサービス事業者を主体的に選択し始めていること、自立意欲が向上した(自分の身の回りをじぶんでしようとするなど)注目するべき傾向が見られたようである。
介護保険制度は、介護の必要な高齢者の自立支援システムであるとともに、地方自治体の自立支援システムであるといわれる。まず、全国すべての市町村が保険者となり、各市町村内で介護の必要な高齢者の人数を推計し、その介護を地域社会システムによって支えるために必要な資料源と、その整備のために必要な財源を推計した。これにもとずいて、利用者負担分の10パーセントを差し引いた残額について、各市町村の高齢者の保険料(1号)、現役世代の保険料(2号)、これに租税負担分を1:2:3の比率で積み上げてその市町村が必要とする財源にする。したがって1号保険料を高く設定すれば、連動してついてくる2号保険料や租税負担分の配分も、自動的にそれに比例して増額される。大雑把な言い方をすると、十分なサービスを用意するべく財源を拡大したい、つまりやる気のある市町村ほどそれに比例して補助金がつくと理解できる。
ここで、問題になるのが地域格差である。典型は、都市部対過疎地の格差である。1970年代からの高度経済成長期には、農村部から都市部へ特に若年層の人口流出が全国的に発生し、半農業国家の時代には比較的地域完結的に営まれていた農村部の生活不安が急速に拡大し、その結果としての地域間格差が大きな社会問題となった。
そこで若年層の流出に歯止めをかけたり、郡部の経済活性化を旗印にして、地方交付税
や過疎債をはじめ、大型公共事業による中央からの財政支出によるテコ入れを基軸とする、地域格差の是正が叫ばれた。こうして中央からの補助金と政治的利権がわかりずらくからんだ、いわゆる「土建政治」による日本型の中央集権システムができあがり、地方は自主的な政治や行政の運営の能力を喪失していったのである。
近年このような中央集権システムへの批判が一挙に高まりつつあるが、問題はこの過程で膨大な借金財政が残っただけでなく、実はこのような公共事業が郡部の活性化どころかむしろ、若年層の都市部への流出による過疎化を加速し、地域は伝統的行事を始めとする地域文化までも失う危機に瀕していることに、多くの人々がきずき始めたということである。今日の相次ぐ大型土木事業の廃止決定はその反映とみることができると思う。
注目すべきは、介護保険制度の準備過程を通して先に引用した「福祉自治体ユニット」のような、高齢者福祉の整備に政治生命をかけるタイプの地方政治家が生まれたことである。かつての「福祉は票にならない」という通説は覆りつつあるようである。その背景にはもちろん高齢化の急進展によって介護問題がさしぬきならない政治課題となってきたこともあるが、介護保険に組み込まれた地方分権推進の仕掛けが見事に成功しつつあることもある。もうひとつこのような福祉を重点施策にかかげる市町村の台頭の背景として、都道府県の存在感の希薄化も影響しているようである。
中央政府の補助金が不足するなか、福祉を新しい地域活性の基盤整備事業になると見抜いた首長たちの意欲が合致して、介護保険は市町村の自立を著しくすすめたようである。
もともと、地方は中央に陳情を行い、予算をえていたという実情があったようである。それに変化を起こしたのが「介護保険制度」ではないだろうか。
高度経済成長と戦後
第二次世界大戦終了後、人々は焼け野原の国土を復興させようと、国と人々とが一体になってひとつの方向へと進んでいったという。しかし、その前進のエネルギーが大きければ大きいほど、ますます追い込まれていったさまざまな住民がいた。そのひとつのグループが公害による被害をうけた住民である。被害者の中には、加害者とされている工場、企業で勤労していた人々も多くふくまれていた。
工場が「まち」へ誘致され工場が建設され、工場が稼動しはじめる。まちのひとびとは、生活のための収入を得るためその工場で働き始める。いくらかの時間とともに、工場近くの川や河口に有害物質が流れていく。その漁場でとられた魚介類などを食事に用いて有害物質が体内に取り込まれる。しだいに、その影響がひとびとのからだに現れてくる。おやたちは、異変にきずくが原因は初期段階では明かされることはなかった。そして、時間がたち工場からの廃水に原因があることが判明するのである。
患者を増やさないためには、また症状をさらに悪化させないためには廃水を止めなければならない。しかし、廃水を止めれば工場がとまり必然的に自分たちの生活の糧である収入も止まることとなる。多くの住民がジレンマに陥ったという。「収入がなくなってもいいから工場をとめるべきか。収入がなくなってしまっては生きていくことができないのだからこのまま放置しつずけるか。」
結果的に、住民は自分たちの働いていた工場、企業を告訴するにいたり、勝訴を勝ち取った。
もっと早く企業と戦うことを決意していれば、被害を小さくとどめることが可能だったかもしれない。しかし、一個人が世の中の流れに逆らって(高度経済成長期であり、所得倍増計画とよばれるようなものがあった時期に)自分が貢献をしてきた会社に対し、かつ収入が断たれることを覚悟して行動に移すのは限りなく不可能に近いことではないだろうか。しかし、社会の流れという「不可抗力」に対し住民は勝ったのである。
戦後という特殊な社会状況と、復興を求める国民の意思の間に生まれた「ひずみ」なのではないだろうか。社会がいつも正しいとは限らないのかもしれない。
環境アセスメント法
公害問題の反省をふまえて、環境庁が設立され、さまざまな法整備がなされた。ダムに関しては廃砂問題などもあるが、ここでは建設段階での環境問題に限りたいと思う。環境問題の法整備のなかのひとつに「環境アセスメント法」というものがある。
この法律は、環境に大きな影響を及ぼす恐れのある事業について、事前に調査を行い影響を避けたり小さくするための方法である。1981年に環境庁が法案を国会に提出していたが、さまざまな業界などの反発をかってしまったため成立しなかった。しかし、空港やダムなどの大きな事業に限っては1984年に閣議において実行することが決定された。しかし、その後、先進国の中でこのような制度を法律を持って定めていないのは日本だけであるという指摘がなされるようになった。そこで、環境審議会は法制化を首相に求めた。 そして1997年にようやく「環境影響評価法」が成立した。もともとの、閣議で実行することが決められたものと後の評価法での違いをあげてみると、発電所など対象が多くなっていたこと、住民などの意見も聞くこと、環境長官が発言できるということである。
やっと成立した法律だが問題点もある。その1番としてその評価の結果にどのようなものが出ても施工者に対しての強制力はなく、あくまで「参考」ということなのである。 ここで思い出すのが、「住民投票」である。
住民投票と法律の論理
住民投票は憲法95条に定められている。95条では特定の自治体のみに関する特別法の制定をするときには、住民投票を行って過半数の同意を得ることを定めている。しかし、それ以上の規定はない。ところが、新潟県で原子力発電所建設をめぐって町民投票が行われ、96年には米軍基地に関して県民投票が行われた。また吉野川可動堰に関しても徳島市において住民投票が行われた。
しかし、これらの住民投票も評価法と同じで法的な拘束力を持たず住民投票で「no」の意思が示されても統治者がその意思に従う義務はない。憲法上、日本は間接民主主制とされている。その1番の影響として次のものがある。たとえば、ある選挙区で当選した議員(国会)がいるとする。その選挙区の住民があとになってその議員をリコールしたいと思ってもそれはできないのである。1度当選すると、ある特定の地域の住民に選ばれたとしても、すでに全国民の代表であり「統一的国家意思形成」をかたちづくることが求められるのである。
しかし、それは中央のことであり地方公共団体の首長などは、直接民主制が憲法上にも規定されている。だとするならば、住民投票によって示された住民の意思を首長は政策に反映すべきではないだろうか。
このような考えに対しては、政策の専門家である自治体が判断を下したことについて、政策の素人である一般市民が発言すべきではないという考えも出てくると思う。
確かに、事務一般的なことについてまで無限低に発言してもらうべきではないと思う。ただ、住民投票に踏み切るにいたるような問題に限ってなされるべきだとは思う。もともと、住民投票を行うとされるような問題は、自治体と住民の意見に大きな隔たりが存在する場合がおおい。そうであるならば、そのような場合に限っては住民の意思を地方自治、立法に生かすべきではないだろうか。
南九州水門問題
2001年のさまざまなニュースの中で、地域住民と行政側の大きな「溝」を感じさせたものに南九州水門問題が思い出される。
もともとこの事業は干拓によって農業用地をつくること、洪水を防止することを目的として計画された。計画の出発は終戦から7年経った1952年まで遡る。その年には、「長崎大干拓構想」として計画が進められ、8年後の1970年にはすでにプロジェクトの縮小が決定され「長崎南部地域総合開発」と名称が変更されている。そして、やっと計画発足の1952年から40年弱経った1989年、着工されるにいたった。1997年には長さ7kmの水門が閉められ、その鉄板が次々に海面に落下させられている風景は「ギロチン」と表現され、事業の残酷さを象徴するかのように度々放送された。
計画規模としては、湾の3550kha(キロヘクタール)の閉めきり、1840haの干拓、1710haを調整池とする計画である。1haを1つの辺が100mの正方形と考えると干拓地1840haの1つの辺の長さは約400mもの長さになる。海を陸にするのである。
1997年に水門が閉め切られると同時に周囲の環境にさまざまな変化が起こったという。まず、海水の汚濁がめだつようになり、また全国でも上位の渡り鳥の渡来数が激減したという。後にCOD、リン酸窒素の数値などが測定され、その悪化ぶりが数値によって明示されたという。
CODとは、[chemical oxygen demand]であり、水中の有機物を酸化剤で酸化するのに消費される酸素の量である。有機物が多いほど酸化のために必要な酸素量も多く、水の汚染度を示す数値となる。単位はppmで、1ppmは1Lの水の中に1mgの酸素が必要なことを表す。環境基準(後述)では湖沼、海域の汚濁指標としても採用されているという。
ここで出てきた「環境基準」とは、(環境基本法にもとずき、人の健康を保護し、生活環境を保全する上で、維持されることが望ましい基準)とイミダスにあった。政府の行政上の目標として、大気、水質、騒音、土壌について定められている。大気汚染では、二酸化硫黄、一酸化炭素、二酸化窒素、浮遊粒子状物質、光化学オキシダント濃度がある。水質汚濁では人の健康保護基準と生活環境保全基準がある。健康保護基準ではシアンや総水銀などの基準で26項目あり、全公共用水域について直ちに達成、維持している。環境保全基準は水素イオン濃度(pH)などで、河川、湖沼、海域ごとに水域類型を指定し、基準の達成を図る。騒音では、地域を3つに類型化し、昼間と夜間の時間ごとに基準値を決め、達成と維持を図る。航空機騒音は住宅地域とそれ以外の地域に分けて指定している。新幹線もほぼ同様の指定になっているという。
この問題が全国に知られるようになったのには1つの出来事があった。2000年暮れに起こった有明海での「海苔」被害である。
2000年の暮れに有明海一帯で赤潮が発生し、福岡、佐賀、熊本、長崎の4県の海苔養殖が色落ちし、大被害を受けていた。大発生した植物プランクトンが海水に含まれる栄養塩を吸収してしまったために、海苔は栄養塩を吸収できずに色落ちしたということである。
こうした赤潮の発生は、水門を閉め切ってから頻度を増していたため、漁民の怒りを呼び水門の開放を求めた水上デモや干拓工事の実力封鎖にいたってしまった。
当初、水門の閉鎖と湾の水質汚濁との因果関係は証明されていなかった。しかし、1、大規模な埋め立てで底生生物が死滅し、海水の浄化能力が失われたこと。2、埋め立てによって地形が変化し、海流に変化を生じさせたこと、などが大量のプランクトンを発生させた要因と考えられるにいたった。
干拓事業の目的は当初、干拓地に田を造成し「コメ」の増産とされていた。しかし、後の米余り現象により畑作へと変更され、その後、酪農に転換された。途中で「防災総合事業」となったりと、次々と変化していった。結果的に畑作に使用されている部分もあるが、もともと海だったため土壌に塩分が含まれてしまっており、畑作に向かないとの指摘や、ジャガイモ畑として使用すると、県内のジャガイモ農家と競合することになり、価格の下落や競争の激化など、不都合がつぎつぎと発生している。もちろん、漁業や海苔養殖で生活をしている世帯も多くあり、早急な解決が求められている。
農水省は当初、動こうとしなかったが、自民党側が動き専門家と漁連の代表者からなる第三者委員会が2001年の2月設置された。そして、2001年4月の会議において「1年間、水門を閉めた状態で事前調査を行い、その後水門を開けて因果関係を含めた調査を行う」との決定が出た。
水門が開けられれば、水門より内側の湾の水質は改善され、漁業なども時間はかかると思うが再開できるようになると思う。ただ、水門より外側の海域は、内側から排出された汚濁した海水に汚染されることになる。それらは、海流に乗って分布を拡大していくことが予想される。被害はどうなるのか、「進むも地獄、戻るも地獄」となってしまうのだろうか。
現在の対立状況としては、4県の漁連と環境NGOが水門の開放と埋め立ての中止を求めているのに対し、長崎県や地元自治体などが水門の開放反対と工事続行をもとめて鋭く対立している。
おわりに
「ダムと日本」からはじまった勉強だったとおもう。1年前には、まだ郵政民営化や公共事業中止などは、誰も実際に実行されるとは思っていなかったと思う。郵政民営化も参入のハードルが高く設定され、民間企業といっても一部の限定された企業のみにしか解放されないという意見もあり、まだ、その方向も「名前は変わったが、中身は変わらない」となりかねない危険性を含んでいるといえる。
このレポートがおわっても、九州の漁民の行政とのたたかいは おわらない。むしろこれからだとうえる。行政が一方的に悪いともいいがたいが、水門開放に固執して反対している状況には、環境以外のなにかがあるように思える。それが、中央からの交付税であり、事業だと思う。ただ、そのもとをたどれば、自治体がその地域を一括して「自治」できない中央集権的制度である。よく、3割自治といわれといるが、やはり7割近くが中央政府からの委託業務という実情が見える。
現在の財出抑制傾向から来年度の予算が大筋できまり、地方自治体への補助金も抑制されることとなった。そのような背景もあって、地方分権をすすめるため道州制導入を考えている自治体の記事が元旦の新聞にあった。それも、県庁職員が「県庁解体」について議論しているということだった。
道州制によって、陳情や中央依存などすべての問題が解決するとは思えないが、新たな混乱が発生しないともいえないが、それによって地方が自ら、自らを自治することができるようになり、中央からの指示ではなく、みずからの政策に責任を持てるようになるならば、現在の責任不在の状況からは進展ができ、さまざまな問題にも解決法が見えてくるのではないかと。
戦後のゼロからの出発の状況とは違い、社会も高度に成長し安定期を過ぎた以上、中央集権よりも、介護保険のように各自治体に個性を持たせ、各地方に合った行政サービスをおこなってもらうことのほうが時代に適しているのではないだろうか。