長野冬季オリンピック
堀之内敏恵
1.はじめに
私は前期に『臨海副都心物語「お台場」をめぐる政治経済力学』という本を読み、中央政府と地方自治体の権力党争や軋轢、大規模開発における民間と政府の役割などを今後の研究テーマとして上げた。その中でも特に「公的イベントの経済効果」に興味を覚えたので、この基礎演習のテーマの一つでもある「地方都市の課題と地域活性化への模索」、「巨大プロジェクトによる地域開発の波紋」を念頭に、不正誘致が囁かれ、未だにその掛かった予算も不明瞭、オリンピック後の施設の活用、維持費など問題が山積みと言われている「長野冬季オリンピック」について論じて行きたいと思う。
2.誘致から国内候補地決定まで
1985年長野県議会は冬季オリンピックの招致を決議した。提唱者は青年会議所や信濃毎日新聞社記者など諸説あるが、中曽根内閣による民活による内需拡大が叫ばれ、リゾート法により国家を挙げて乱開発を後押しし、地方都市が「リゾートで地域の活性化」を夢見た、まさに日本がバブル経済に突入した、この様な背景の中で長野のオリンピック誘致は始まった。
翌1986年JOC(日本オリンピック委員会)に冬季オリンピックの開催地として立候補を提出する。同じ日に盛岡、旭川、山形も立候補し、国内候補地は四都市となる。
1988年JOCに先駆け、SAJ(日本スキー連盟)により競技場の地理的、地形的条件、交通基盤などの調査がおこなわれる。この時点での評価は盛岡が群を抜いて高かった。
1989年4月JOCの調査が始まる。委員の出迎えには長野県上田市選出の国会議員羽田孜も同行するなど、長野の異様な誘致活動が始まる。視察直後の岩手日報には「長野県からJOC委員に弾丸が投げ込まれた」とコラムに掲載されている。この時点からもうすでに賄賂の疑惑が浮上していたのだ。
同年6月JOCの総会で長野市は国内立候補都市に決定した。
3.開催地決定に向けて
オリンピックの開催都市はIOC(国際オリンピック委員会)委員の投票によって決定する。1998年の冬季オリンピックへ立候補を表明していた都市は長野を含め六都市だった。
1990年IOCの理事会と総会が東京で開催される。1996年の夏季オリンピックの開催地決定投票を行う事がテーマであったが、まだ正式に立候補も表明していない長野は開催国の利を生かし、IOC委員への接待攻撃を始める。これを期にIOC委員の長野への訪問が本格化する。
その異様な接待の一例を相川俊英著、「長野オリンピック騒動記」から抜粋する。「東京のホテルまでお出迎えを受け、上野駅からグリーン車に乗り込み、長野駅に着くと関係者はもちろん数百人の市民と、幼稚園児の鼓笛隊のお出迎え。委員の国旗を打ち振る数百人の県庁職員、県議会議員に見守られながら県庁に到着。15分の表敬訪問後、フランス料理を堪能し、市役所へ。ハト車や扇子、浴衣や鯉のぼりなどをプレゼントされ、県警のヘリで市内を見学。夜は1泊5万円の高級旅館に泊まり、翌日には帰途につく。」長野を訪れたIOCの委員の殆どがこの様な歓迎と接待を受けたという。中には600万円以上の絵画を贈られた委員もいたという噂もあるそうだ。
いったい委員達は何をしに来たのだろうか・…。ヘリから会場予定地を覗き何がわかったのであろうか・…。この様な疑問が当然一部の市民の間で沸き起こってはいたが、さらに接待攻勢はエスカレートしていき、1991年 万歳コール湧き上がる中、大方の予想を裏切り長野は開催地に決定する。
4.開催に向けて
開催地に決定はしたが問題は山積みだった。1991年の総会で長野は「全選手団の交通費、宿泊費、食費を負担する」と宣言し、本命ソルトレークシティーを破り開催権を獲得したが、財政難を理由に1994年この公約の撤回を口にしている。選手、役員を合わせ渡航費だけで約10億円にものぼる費用は当初から払えるはずはなかった。
その後も各会場の観客数や宿泊条件、競技場へのアクセス、さらに問題の滑降コースのスタート地問題など、約束の反故が横行し各国に不信の芽が芽生えて行く。
その上もっとも問題なのはその財政計画だ。1988年の運営見積もりは400億、収入の見通しも400億だった。だが、開催地決定を3ヶ月後に控えた1991年には運営費は一気に760億に跳ね上がり、オリンピック一年前の1997年には1030億円と1000億の大台を突破した。当然同様の収入は見込めるわけもなく、赤字の2文字が浮かび上がってくる。なぜこんなに運営費が増えつづけたのだろうか……。
5.商業オリンピック
1980年スペイン人のファン・アントニオ・サマランチがIOC会長に就任した。それ以降オリンピックはその体質を大きく変えていった。アマチュアリズムの建前をオリンピックから完全に捨て去り、商業主義を徹底させた。TOPスポンサー制度と呼ばれる、オリンピックマークやマスコットなどを全世界で使用できる権利を企業に与え、その見返りに高額の協賛金をIOCに供出させるシステムを構築させた。この他、テレビ放映権料や国内スポンサー契約においてもIOCの取り分はがっちり決められている。
さらに問題な事に大会運営は開催都市とその国のオリンピック委員会が行い、運営費もそこが負担する事になっている。つまりIOCは運営費は出さずに、金だけを手に入れるのだ。それゆえ多くの人がオリンピックに関心を持ち、参加し、観戦させようと競技数を増やし、大会規模を大きくしようと画策した。無論その為に運営費が増加する事などは関知しない。
6.儲かったのは誰か
上記5.で述べた通りオリンピック運営のシステムはIOCが儲かるように出来ている。例えばテレビの放映権料の40%はIOC、残りの60%はNAOC(長野オリンピック冬季競技大会組織委員会)の取り分と契約で決められている。TOPスポンサーからの協賛金の配分のNAOCの取り分は全体の15%に過ぎない。国内のみでオリンピックマークなどの使用を許可される、ゴールドスポンサーの協賛金ででさえ、IOCやJOCに上納され、NAOCの取り分は全体の73%に目減りしてしまう。
誘致都市は高額なテレビ放映権料やスポンサー収入によって運営が赤字になる事はない、それどころか「オリンピックは儲かる」と信じ込んでおり、それが過剰誘致に繋がっているが、実際は儲かるのはIOCで開催都市ではない。逆に開催都市は運営費の捻出に苦しんでいるのが実状だ。
また、長野オリンピックでは当時SAJ(日本スキー連盟)会長、(その後IOC会長、NAOC副会長などの要職につく)コクドの堤義明氏が自らの利権の為に長野を選んだというのも有名な話しだ。
堤氏はアルペン競技予定地に雫石スキー場(岩手県)、焼額山スキー場(長野県)を所有しており、どちらにしろ自分の所有するスキー場が、オリンピック会場地予定地になるのだが、1987年には焼額山スキー場を増設し、すぐそばに新しいスキー場を完成させており、隣接してゴルフ場建設も計画されていた。国土計画は新潟、群馬、長野にまたがる大スキー場ネットワークの構想を持ち、焼額山スキー場とプリンスホテルを挟んだ対岸する岩菅山にもスキー場を作る計画であったとされる。長野オリンピック開催概要計画書ではアルペン種目の一部は岩菅山にコースを新設し、駐車場をつくり、長野市内と35分で結ぶオリンピック道路を建設するとされていた。
周辺のリゾートの開発を推進しているときに、新幹線やアクセス道路まで税金で作り、金と人を運んできてくれるという、オリンピック招致は堤氏にとってまさに願ったり、叶ったりの話しであった。
オリンピックの招致やリゾート開発による「地域の活性化」は地元産業界や自治体から発せられたと思いがちだが、どの地域においても中央の利権者たちが自己の利益の為に提案したに過ぎない。長野オリンピック招致の真の目的もスポーツの祭典の開催ではなく、新幹線や高速交通網の整備にあったのではないか。
7.宴の後
世界中の都市がオリンピック誘致に熱心な理由に、公共投資の呼び水にしたいという思惑がある。「開催地」を全面的にアピールし、道路や施設、交通網といった都市基礎整備を国の支援によって一気に進め様という計算だ。
長野オリンピックの開催が決定した1991年はバブル経済が弾け、日本の経済があっという間に沈没して行った年だが、長野経済は比較的その落ち込みが軽くすんだ。オリンピック開催とそれによる交通基盤設備事業の波及効果が大きいといわれているが、はたしてそうなのであろうか。
長野オリンピック関連の公共事業費は新幹線や高速道路なども含めると、総額で約二兆円にものぼると見られているが、実際はいくらになるのかは明らかにされてはいない。関係自治体はオリンピック特別会計を設けておらず、公共事業のどこまでがオリンピック関係の支出なのか明確ではない。一方県債や市債の発行高は大幅に増加している。
1997年長野市内で行われたシンポジュウムで、長野オリンピックについてパネラーから「金権土建五輪」という言葉を使い、激しい批判がされた。これを受けてNAOCは「オリンピックと同時期に大きな投資が行われ、インフラが進んだのは事実だが、それによって物人の流れが良くなった。また競技施設等への投資は公共投資の観点からみると、数十年分を先取りしたに過ぎない。」と返答している。
数十年分の公共投資を先取りしたと一時喜んでも、公共事業は金なしではできない。オリンピック施設費の莫大な支出にともない、長野県と長野市の財政は急激に逼迫して行く。
1997年度長野県の一般会計予算は総額1兆78億円で、その内借金の返済と利子に当たる公債が1291億に達していた。一般歳出の12.7%をしめ、支出項目で第3位に食いこんでいる。長野市も同様で一般会計予算1310億に対し、一般歳出の11.4%に当たる149億が内借金の返済と利子に当たる公債となっている。県の借金を世帯で割ると1世帯当たり196万円以上となり、長野市の借金を世帯で割ると1世帯当たり155万円となる。長野市民は両方併せて351万円にもなる。長野市民、県民は「2週間の感動」と引き換えに、「数十年に渡る借金地獄」が待っていたのだ。
さらに悲劇はここでは終らない。宴の為に作られた巨大施設の維持管理の問題だ。当然お金がかかる。1995年時点では6つの施設で1年間に19億7100万の維持管理費が掛かると試算された。オリンピック後各施設の後利用計画については色々と検討され、少しでも負担が軽減されるよう取り組みがなされている。
1999年度6施設の管理費の市負担は8億5300万円。スピードスケート場(エムウェーブ)を運営する第三セクターは通年営業二年目で初の黒字となったが、スケート大会の開催数の減少やスケート利用者の伸び悩みもあって、安定収入の確保には課題を依然として抱えている。
8.長野県財政の現状
長野県財政は悪化の一途を辿り1999年度以降借入金残高が1兆6千億円を超え、借金の返済と利子に当たる公債は1732億に達し、県予算の17%を占めている。県の収入に対する借金返済の割合を示す起債制限比率は16.4%で、全国ワースト2位となり、(全国平均11.2%)数年後のピーク時には19%程度になることが見込まれている。
1兆円ある歳出の50%近くを人件費や借入れ金(公債費)などの義務的な支出が占め、本来の予算編成が出来なくなってきている。
また、IT関連産業の業績悪化、アメリカ同時多発テロの影響や急速な円安など、経済情勢が一段と悪化し、税収が今後大幅に減少することが見込まれるなかで、従来どおりの財政運営を続けていくと、ピーク時に1,784億あった県の基金は2002年度末には660億に減少し、2003年度にはなくなってしまい予算編成自体ができなくなるということも想定れる。
この様な状態がさらに続くと、国の指導の元に財政再建を行わざるを得ない「財政再建団体」に転落する恐れがあり、この様な事態に陥ると独自に行ってきた福祉や教育の事業を実施できなくなってしまうなど、まさしく危機的な状況に直面している。
段落7で述べた通り長野県は北陸新幹線・高速道路の開通、オリンピックの開催に合わせ、社会資本を整備するために集中的な公共投資を実施し、国から借りられる物も、貰える物(補助金、交付金、助成金など)も全て借り、貰い尽くしている。あとは自力で捻出する以外にないのだが、驚いたことに東京都と比べて現状税金の率、税金の種類ともになんら変わりはない。財政が逼迫しているからといって県独自の税金を導入したり、個々の税率を上げたりする事は難しいようだ。そうなるとあとは歳出をカットするより他にこの財政難から脱却する方法はなく、歳出を押さえるべく努力がされている。
9.オリンピックの経済効果
この様に多大な負の財産を残した長野オリンピックだが、果たして一時的にでも経済効果はあったのであろうか。長野県の税収入の推移を表すグラフ(添付資料1)を見ると1988年から2000年に至るまで、2,182億〜2,647億と殆ど略横ばい状態で、オリンピックが行われた1998年の税収は多少上がってはいるが、「オリンピックによる経済効果があった」と言える様な増税額ではない。
また、国の経済成長率を表したグラフ(添付資料2)を見るとオリンピックが行われた1998年の経済成長率は「マイナス0.6%」と1981年〜1999年の19年間の中で最低、且つ唯一のマイナス成長となっている。
これらの数値を見る限りオリンピックによって日本、及び長野県に経済効果があったとは言い難い。
10.まとめ
長野オリンピックについては、今日までも買収工作報道をあらためて長野市長が否定したりなど、未だに不正誘致にが囁かれ、また、オリンピック後の施設の活用・維持費の問題、そして悲劇的な県財政難など、メダルラッシュに沸いたあの興奮の2週間との大きなギャップを感じていたが、今回このレポートを書くに当たり、資料を読むに連れ益々その気持ちが高まった。
『臨海副都心物語「お台場」をめぐる政治経済力学』のレポートを書いた際にも感じた事だが、莫大な利益を生み出す大型公共事業の運営の難しさを、益々思い知らされた。
また、ごく一部の利権者たちの自己利益追求の付けを追わされるのが、私達市民であることを大変悲しく、哀れで、腹立たしくも感じた。
今回最終レポートとしてまとめるに当たり、夏季レポート発表の際に指摘のあった「長野県政のその後や、長野及び日本全体への経済効果」など加筆したがその結果は散々なものだった。
今年6月から日韓合同で開催されるワールドカップにおいても、日本・韓国ともに巨大なスタジアムが全国で多数建設されている。冬季オリンピック用のスケートリンクなどと違い、芝のスタジアムはサッカーに限らず陸上競技などにも使え、汎用性は断然高いと思うが、それでもこの小さな2つの国にそれほど多くの競技場が今後も定期的に必要とされるとは思えない。大阪市やさいたま市など大都市圏は問題ないと思うが、新潟市など周りに建設されたホテルや飲食、観光業店なども含め、今後の運営が心配だ。長野で起こっているこの悲惨な状況が繰り返されない事を願う。
長野オリンピックは「公的イベントの経済効果」という観点からいうと、成功したとは言い難いが、小中高等学校で行った一校一参加活動が今も継続され、国際交流活動が進んでいたり、ボランティア研究センターが設立されボランティア活動が活発化されるなどもちろんプラスの効果も沢山生んでいる。
莫大な費用と時間、労力を伴って行われる巨大公共プロジェクト。マイナスの効果を補って余りある、プラスの効果が生まれる事業内容となる様、私達市民はしっかり見守り、参加して行かなくては行けないと思う。
参考文献
長野五輪歓喜の決算(川辺書林)
長野オリンピック騒動記(相川俊英、草思社)
オリンピックは金まみれ(江沢正雄、雲母書房)
長野オリンピックを支えた知恵の結晶(21世紀ニュービジネス協議会)
堤義明とオリンピック・野望の軌跡(谷口源太郎、三一書房)
参考URL
信濃毎日新聞社 長野オリンピック情報http://www.shinmai.co.jp/olympic/
オリンピックの後始末 http://www.geocities.co.jp/Athlete/1349/
日経4946(やさしい経済用語の解説)http://www.nikkei4946.com/today/index.html
長野県庁 http://www.pref.nagano.jp/index.htm
東京都 http://www.metro.tokyo.jp/index.htm
以上
添付資料1(長野県の税収入の推移)省略
添付資料2(経済成長率)省略